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戦場カメラマンという仕事
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戦場カメラマンとして30年以上世界中の紛争地を記録に残してきました。
そしてここ最近戦場カメラマンになったきっかけというものを繰り返し思い起こすようになりました。
それは私がまだ学生の折バックパッカーとしてアフリカ中部に広がるジャングルを旅したこと、この行動が全ての始まりであります。
当時その一帯ではツチ族とフツ族による民族衝突ルワンダ内戦が勃発し周辺国に戦闘が飛び火。ジャングルの中で武器を持った少年兵たちが点在する村々を襲撃していました。多くの村人が犠牲となっていく惨劇の中で子どもたちが泣きながら助けを求めてくる。しかし危険が迫っていることがわかっていながらも自分の力では子どもたちを直接助け出すことができなかった。
この内戦下で自分にできることは何もないことを突きつけられ焦燥の避難生活を送っている最中、もともと大好きであったカメラを使って戦場の現実を写真で繋げることはできないかと気持ちが揺れ始めました。何もできないのであるならば写真で動いてみる。ルワンダ内戦下での子供たちとの出会い、気持ちの根っこから駆り立てられる感情の膨らみが戦場カメラマンになる人生転換の瞬間でありました。

これまでの数十年に及ぶ戦場取材で私自身がいかなる環境であっても細心の注意を向けてきたことがあります。それは戦場での安全の確保、危機管理体制の意識です。戦場カメラマンとして紛争地域を取材する折には必ず怪我をせずに日本へ戻ること。これこそが絶対条件として突き詰めてきた危機管理体制の土台であります。空爆や爆破テロ、IEDと呼ばれる仕掛け爆弾など前線の危険はどの戦場でも極限の判断と危機管理意識が問われます。紛争地では絶対に単独では動かず、必ず取材をするその国その地域で生まれ育ってきたガイドの方や通訳の方、さらに事件に巻き込まれることを想定したセキュリティーの方の支えがあることで撮影を進めることができる。これまでどの国でも自分を含め最低4人の取材チームを組み立てたことで実際に戦場取材を固めていくことができました。
国家体制が崩壊している紛争地域では地元の方々との繋がりをいかに複数確保しておくかが取材を形にする大きな条件であり、そのパイプに導いてくれるのがガイドの方をはじめとした取材チームであると常に感じています。万が一取材前に撮影チームを組み立てることができなかった場合は取材には飛び込まず一度取材の段取りをばらし再度取材チームを組み立て直していくことが安全への近道であると痛感しています。
世界情勢は激動のうねりを見せています。地球上どの地域でもお互いが疑心暗鬼に覆われパレスチナガザ軍事侵攻やウクライナ戦争はもちろんアジア一帯での強権体制の広がりと海洋利権をめぐる衝突では今後どのような動きが想定されるのか先行きは見えません。アメリカトランプ大統領主導の力による主権国家への介入、武力による現状変更を正当化する動きが世界中で繰り返され自由や人権、平和や平等といった世界が向き合ってきた信頼が揺らいでいます。
限られた資源や権益をいかに先に押さえこみ総取りしてくのか。まさに自国ファーストを掲げる強権国家体制が世界中に浸透しました。民主国家よりも権限を強める国の数が多数派となっているのが現実であります。現代の戦争は民族や国境、資源をめぐる衝突の構図にAIという人工知能やロボット工学、情報管理統制が覆い被さり誰が敵で誰が味方なのか認識することさえ難しくなっています。私自身も世界各国の戦場に飛び込むたびに戦争の構図が複雑に変化と進化を繰り返していることを痛感します。
戦争による利益を得るものが存在し、戦いによって膨大な犠牲を引き起こしながらもその傷跡が隠されていく社会構造が日常となってきました。戦争への同意を押し付けられる情報戦争が現代の戦争形態と言えるのかもしれません。誰も戦いを望んでいないのに世界中で戦争がつながっていく。誰も戦いを止めることができないだけでなく、気がつくとその戦争の当事者に関わりのある暮らしを送っている。武器を使った破壊だけでなく、情報管理をした側が戦争を整えていく。勝ち負けではなく戦いの利益を生み出すビジネスのような外交取引が優先されていく。誰しもにとって犠牲に気づく必要のない生活形態が21世紀の特徴かもしれません。

日本も戦後80年以上を経て戦争のない日々が決して当たり前ではないと肌で感じています。戦争というものには計画的な戦術を駆使する戦闘以前に”偶発的“というスイッチが存在します。開戦宣言ではなく双方が意識しない細かな突発的接触が大規模戦闘につながっていく。これこそが戦争の直線的特徴であります。情報が世界を覆い尽くしていくからこそ情報を管理した側が意識的に自らの好ましい環境を固めていく。誰しもにとって気持ちのいい情報を地球規模で競い合わざる得ない構造が衝突の根っことなっています。
知らない世界が身近に存在した時、不安と恐怖が自らを守る原動力となってきたことは否めません。同時にちょっとした言葉や振る舞い、見聞で張り詰めた緊張が溶けていく経験を誰しも体感したことがあると思います。もしかすると見えない不安よりも相手のことを一つだけでも知ってみようとする動きこそが衝突を和らげる入り口なのかもしれません。地球上では今も多くの戦争が続くと同時に争いが収まっていった戦争というものも存在します。そしてこうしたいかなる戦争であっても絶対的に変わらないことがありました。それは戦争の犠牲者はいつも子供たちという現実です。世界中のどの戦争でもこの残虐な事実が重なりました。
私自身カメラマンとして戦争が引き起こす残虐性に向き合った時、自分に唯一できることは様々な環境であっても気付きの架け橋となる写真を撮り続けていくことであると感じています。自分の身体が動く限り、苦しんでいる子どもたちの場所へ自らの足で赴き、自分の耳で子どもたちの声を聞き取り、子どもたちの想いに寄り添っていく。ルワンダ内戦で突き上げられたカメラマンの初心が今もここにあります。

私には夢があります。それは世界中で戦争がなくなった時、もう戦場カメラマンという仕事はいらない。その折には即座に学校カメラマンになること。これこそが私の夢であります。これまで世界中で向き合ってきた学校に足を運び、戦いがなくなったその国その場所で学び、遊び、食事を楽しむ子どもたちの姿を写真に残していきたい。世界中から少しでも衝突が収まっていき戦場カメラマンではなく学校カメラマンとして駆け巡ることを今も夢見ています。
最後に大好きなカメラについて触れさせてください。カメラマン駆け出し時代の90年代前半はフィルムカメラでの撮影が基本であり200本のフィルムを前線に持ち込み膨大な機材体制で撮影を続けていました。2000年のミレニアム前にはデジタルカメラの普及が広がり始めメディアカード一枚で2000枚の写真記録を残せる汎用性に衝撃を受けました。さらにデジタルカメラの進化はドローン撮影や機動性に富む超小型カメラにつながっていき誰しもが日常で使われている携帯電話カメラの画像スペックは巨大ポスターを飾れるほどのハイパワーを備える時代となりました。カメラ機材という視点だけでも進化のスピードに改めて驚かされています。

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(ディスカヴァー・トゥエンティワン・2023/10/20)

学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。イラク戦争では米軍従軍(EMBED)取材を経験。これまでの主な取材地はイラク戦争のほかルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦など多岐に渡る。
本コラムで綴られているのは、遠い国の出来事ではなく、私たち一人ひとりの暮らしとも地続きにある現実です。戦場で出会ってきた子どもたちの姿や、情報に揺れる現代社会への問いかけは、「人権」や「世界平和」を改めて自分ごととして考えるきっかけを与えてくれます。
平和学習や人権講演、国際理解をテーマとした講演会をご検討中の主催者様にとっても、深い気づきと対話を生む時間となるはずです。
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