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NO.047 ゆりきゃん氏 ー がん・幸福論 ー

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ないからこそ、ひかりになる

 

 

 

 

 

 

 

コラムtop(744×386) (48)

 

 

はじめに

――“失う”から始まったわたしの幸福論と、谷川俊太郎『ひとりひとり』
人は誰も、失うために生きているわけじゃない。
けれど生きている限り、大小問わず、喪失は必ず訪れる。
病気、別れ、裏切り、自信の崩壊、思い描いていた未来の消失。

 

それらはすべて突然で、容赦なく、
そしてときには「なぜわたしだけ?」という孤独さえ連れてくる。

 

わたしは、乳がんになり、胸をなくし、髪をなくし、コロナ禍という中、
希望さえ薄れていく中で、初めて“ない”という地点に立たされた。

 

けれど、その“ない”の中でしか見えない光があることも、体感した。
失って初めて、世界が静かに色づき始める瞬間がある。
そしてその気づきは、谷川俊太郎さんの詩集『ひとりひとり』の中に
流れる“失ってもなお存在する尊さ”と、驚くほど自然に重なっていく。

 

このコラムでは、わたしが体験した「なくなる体感」と、
そこから生まれた「幸福論」、そして最後に谷川さんの作品への推薦を込めて綴っていきたい。

 

 

 

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ガンになり、なくなる体感

わたしたちは、日常を“ある”ことが当たり前の世界として生きている。
健康である、体力がある、胸がある、時間がある、明日がある
でも、その当たり前は、ある日突然、簡単に裏返る。

 

乳がんの告知を受けたとき、正直わからなかった、早く見つかってよかった、
抗がん剤治療しなくても大丈夫だよとも、そっか、私はラッキーなんだと、
悲しみの中にも、私は大丈夫って、なんか変な自信があったのを覚えている。

 

胸がなくなるのかと、ふと病院の白い壁を見つめながら、
「ああ、もう前の自分には戻れないんだ」と、ひんやりと実感したのを覚えている、
やっぱり、胸を失うことは、自分の中で、この感情をどう処理していいかが
わからなかったというのが、本音だったんだと思う。

 

手術で胸がなくなると聞いたとき、“女としての象徴を失う”という言葉では
足りないほどの恐怖があった。ただ、家族からも、命があれば、
それが一番と背中を押してもらった。

 

入院・手術はコロナ禍の時で、孤独、誰も病室へは来てくれない、
できるだけ自分のベットから離れないでという感染対策、本当に一人だった。
全摘後、鏡の前に立ったわたしは、想像していたよりもずっと静かだった。

 

リンパの転移が見つかり、同時再建もできず、結果は抗がん剤なしから一点、
抗がん剤治療が確定、息子の小学校の入学式が終わり、午後、私も抗がん剤治療へ入学、
同時に新しい生活が始まったのです。

 

抗がん剤が始まって髪が抜け落ちるたびに、このままどうなるんだろう。
髪の毛は、5週間ほどで全て抜け落ちた。
顔は笑っているようで、心はやっぱりどっか上の空。
笑って欲しくて、仲の良いママ友にふざけて見せたのに、
向こうは、なんて言っていいかわからない顔をされてしまった、
そんな“なくなる体感”の連続の中で、ある日ふと気づいた。

 

なくなるのは、わたしの形だけであって“わたし”そのものはなくならない。
そう思えた瞬間、喪失の中に小さな光が差し込んだ気がした。
それを強く確信した写真が、この一枚です。自分のことがイケてる!と思えた瞬間でした。

 

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ないからこその幸福論

胸がなくなったとき、わたしは自分を「半分欠けた存在」だと思った。
髪がなくなったとき、「女性らしさを失った」と思った。
希望が薄れたとき、「もう未来なんてない」とまで思った。

 

でも、それらは全部“思い込み”だった。

 

胸がなくても、髪がなくても、未来が見えなくても、
わたしは母で、ひとりの人間として、生きている。
何もできない日でも、子どもたちは「ママ大好き」と言ってくれた。
ご飯を作れなくても隣に座っているだけで、家族は安心してくれた。
外見を気にする余裕もないときでさえ、友人たちはわたしの存在に価値を見てくれた。

 

その瞬間気づいたのは、価値は“あるもの”で決まるんじゃなく、
“あるものをどう感じるか”で決まるということ。わたしは“ない”の世界に行ったことで、
初めて“ある”の本当の価値がわかった。
これは病気という大きな喪失が教えてくれた、大切すぎる学びだった。

 

・朝、目が覚めることが奇跡に思える
・ご飯の香りだけで涙が出る日がある
・子どもの笑い声が、世界全部の音楽より尊い
・「今日も生きてる」それだけで胸が熱くなる

 

こういう感覚は、失う前のわたしには絶対になかった。
“ある時代”のわたしが置いてきてしまった宝物たちだ。
失った先で見つけた幸福は、不思議なほど静かで、でも力強くて、わたしを支え続けてくれる。
だからわたしは胸を張って言える。

 

「ないからこそ、見える幸福がある」
「ないからこそ、人生は始まり直す」

 

 

 

その事で誰かの光に

わたしはこれまで、多くの人からの言葉に救われてきた。
SNSの一言、誰かの体験談、講演で耳にしたフレーズ。
どれも小さな光だったけれど、暗闇にいたわたしにとっては巨大な灯台だった。

だから今度は、自分が光を届ける番だと思った。
講演を続けているのも、イベントを行い続けるのも、
すべては「失っても人生は終わらない」という事実を届けたいから。

 

人は失った瞬間、未来の色まで失ったように感じる。
でも、本当は違う、失った場所に、新しい光は必ず生まれる。

 

わたし自身、その光によって救われたひとりだからこそ、その言葉を人に手渡していきたい。
そして、誰かが同じ光を、また別の誰かに渡していく。
そうやって、人生はつながっていくと信じている。

 

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谷川俊太郎さん『ひとりひとり』と“ない”の優しさ

谷川俊太郎さんの詩集『ひとりひとり』には、“人の存在そのものを肯定するまなざし”がある。
強くなくてもいい。たくましくなくてもいい。
欠けていても、弱くても、迷っても、それでも“ひとりひとり”は尊い。

 

詩の中には、“ない”を恐れず、“ない”を責めず、ただ受け止める優しさが満ちている。
谷川さんの言葉は、喪失を押し返すのではなく、喪失と静かに寄り添う。
まるで「失ったことの中にも光があるんだよ」と、そっと背中を撫でてくれるような感覚
わたしの「ないからこその幸福論」と、この『ひとりひとり』のやさしい言葉が、
リンクしている感覚があります。

 

どちらも、“ある”を誇るのではなく、“ない”を抱きしめる生き方。
もし今、あなたが何かを失って苦しんでいるなら、ぜひ谷川俊太郎『ひとりひとり』を読んでみてほしい。
そこには、静かに灯る光が確かに存在している。
わたしがその光に救われたように、私からの光を灯せる自分になりたいと思っています。

 

 

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ひとりひとり
著者:谷川俊太郎
(講談社・2020/11/4)

 

 

ゆりきゃん(ゆりきゃん)
ゆりきゃん(ゆりきゃん)
ママガンサバイバー

20代、オーストラリア留学、イギリス就業、中国上海就業、約20カ国へ放浪旅。日本へ帰国後は、外資系企業でマーケテイングの仕事従事、グローバルな視点を活かし日本人思考の持ち主。結婚出産、2児の母として、ワーキングママが、まさかの乳がんに!

 

 

 

 
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