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攝津正
(せっつただし)

元プロ野球選手/スポーツコメンテーター

1982年生まれ。宮城県仙台市、埼玉県さいたま市を経て、秋田県秋田市へ。秋田経法大附属高校(現:ノースアジア大明桜)ではエースとして3年春のセンバツに出場。
高校卒業後、JR東日本東北へ進み8年間プレー。2008年度のプロ野球ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから5位で指名を受け入団。

ルーキーイヤーの2009年は開幕一軍を勝ち取り、5月8日の対西武ライオンズ戦でプロ初勝利。ファルケンボーグ、馬原とともに勝利の方程式「SBM」の一角を担った。オールスターにも選出された。
リーグ最多の70試合登板、39ホールドで最優秀中継ぎ投手と新人王の2つのタイトルを獲得。

2010年も勝利の方程式の一角を担い、71試合に登板。稲尾和久氏以来の2年連続70試合登板を達成。

2011年から先発に転向。一年を通じてローテーションで投げ抜き14勝を挙げてリーグ優勝に貢献。クライマックスステージ、日本シリーズでも先発し勝利投手となり、日本一にも貢献した。

2012年は自身初の開幕投手に。開幕戦で勝利すると、エースとして先発ローテーションの中心を担った。両リーグ最多の17勝を挙げ、最多勝、最高勝率、沢村賞のタイトルを獲得。
ルーキーイヤーに獲得した最優秀中継ぎ投手と、沢村賞を獲得した史上初の投手となった。(現在も唯一の記録となっている)

2013年はWBC日本代表に選出。1次ラウンド、2次ラウンド、準決勝とそれぞれ中継ぎで登板し存在感を発揮した。その後開幕したシーズンでは、2年連続の開幕投手に。シーズン15勝を挙げた。

2014年は、球団史上初となる3年連続の開幕投手を務め、シーズン10勝。翌年2015年も開幕投手で、シーズンでは10勝を挙げ5年連続2桁勝利も記録した。
2016年も5年連続となる開幕投手を務めたが、以降、状態が上がらず2勝にとどまる。2017年は未勝利に終わり、2010年以来の中継ぎ登板も経験するなど、苦しいシーズンを過ごした。2018年は先発で勝利を挙げるなど復活が期待されたが、オフに自由契約となり、引退を決断。

プロ通算10年で282試合に登板し、79勝49敗1セーブ73ホールド、防御率2.98という成績を残した。

現在は、プロ野球解説者としてプロ野球中継やスポーツ番組に出演。そのほか、趣味である釣りのラジオ番組を持つなど、解説者以外にも多方面で活躍。野球教室や講演などを通じて、多くの方々に野球の素晴らしさを伝える活動展開中。

普段は、2人の子どもを持つ父親として子育てに奮闘中。保育園の送り迎えをはじめ、家族で過ごす時間を大切にしながら日々を過ごしている。

出身・ゆかり

秋田県・宮城県・埼玉県・福岡県

主な講演テーマ

『「努力の天才」で球界を代表する投手に~モチベーションと目標設定、実現のさせ方~』


ソフトバンクホークスのエースとして沢村賞、WBC日本代表など球界を代表する数々の実績を上げた攝津正。だが、決して「エリート」、「天才型」ではなく、工夫して考え抜いた地道な努力からそこに上り詰めた。
「30歳になったら社員で働こうと思っていた」と言うJR東日本時代は何度もドラフト会議で指名を見送られ、結局プロ入りしたのは26歳と遅咲き。しかし、入団一年目から12球団随一の選手層の厚さのソフトバンクの中において中継ぎとして「勝利の方程式」の一員として活躍、最優秀中継ぎ賞も獲得。その後、先発転向後も沢村賞に輝き、WBC日本代表にも選ばれ球界を代表する投手に成長した。その後、決して恵まれた体格、才能ではない
子供の頃から決して「天才型」、「エリート」ではなかった自身が、どのように目標設定やアプローチ、工夫をしたのか、「努力の天才」になる方法をお伝えします。

 

『エリートではない私が最多勝、日本代表になれた方法』
『天才型じゃなくても結果は出せる~目標設定、アプローチ、努力、メンタルコントロール~』

 

<ビジネス>
『平常心 ココロとボールのコントロール法』
『変化を恐れない 成功を掴んでも新たなチャレンジをすることの大切さ』

 

<学校・保護者・医療関係者向け>
『元プロ野球選手が病気になって気づいたこと』
『家族は人生 沢村賞投手が引退後に一番大切にしていること』

主な経歴

【生年月日】 1982年6月1日生まれ。
【出身地】 秋田県秋田市
【出身校】 秋田経法大付属高校
【身長・体重】 181㎝・94㎏
【投球・打席】 右投・右打
【ポジション】 投手
【実績】 新人王(2009)、沢村賞(2012)など多数
【座右の銘】 平常心
【趣味】 魚釣り

 

 

【プロ入り前】
秋田経法大付属高校では1年夏からベンチ入りし、3年時の2000年にはセンバツに出場。高校卒業後は父親と同じくJR東日本に入社し、東北硬式野球部に所属。3年目から登板機会を増やし日本選手権東北二次予選では最優秀選手賞を受賞、2004年からエースとなる。都市対抗野球初登板となった1回戦の日本通運戦では8回二死まで投げて2失点で東京ドーム初勝利。
2008年度プロ野球ドラフト会議でソフトバンクから5位指名され入団。背番号は50。

 

【プロ入り後】
オープン戦の好成績が評価され開幕一軍入り。5月8日の対埼玉西武ライオンズ戦で、中継ぎ投手として1回1/3を無失点に抑えプロ初勝利。ゲーム終盤で攝津、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩の継投で逃げ切る勝ちパターンが確立し、勝利の方程式「SBM」と命名された。

 

【特徴】
フォームはオーソドックスなオーバースローだったが現在はテークバックの小さなコンパクトなフォーム。平均球速約139km/h、最速148km/hのストレートと緩急2種類のシンカー、スライダー、カーブを投げ分ける。
先発として起用されるようになった2011年からの通算与四球率2.06の抜群の制球力を誇る。コーナーをつく投球のためリリーフとして起用された2010年までは与四球率3.11と四球が多かったが、逆球率は5パーセント弱と低かった。選手からも制球力の評価が高く、2011年の『すぽると!』で放送された、プロ野球選手100人が選んだ「この選手がすごい!コントロール部門」では3位に選ばれた。ソフトバンク球団会長の王貞治をして「メジャーでも即通用する投手」として名を挙げられている。

 

【現役引退後】
2019年からは野球解説者として活動する。これまで福岡放送やTwellV(副音声)のゲスト解説者として出演。その傍ら、RKBラジオの『攝津正のつりごはん』というレギュラー番組もスタートした。

主な戦績

沢村賞:1回(2012年)
新人王(2009年)
2009ゴールデン・ルーキー賞 (2009年)
日本プロスポーツ大賞最高新人賞(2009年)
最優秀投手:1回 (2012年)
ヤナセ・福岡ソフトバンクホークスMVP賞:1回 (2009年)

主な講演実績

イオンモール筑紫野 済生会フェアトークショー
日本経済大学 講演
サイバー大学 講演
福岡県 がん征圧の集い&働く世代をがんから守るがん対策推進大会 トークショー
ワタミ株式会社 マネジメント研修会トークショー

主なメディア出演

FBS「夢スポ」
RKBラジオ「摂津正のつりごはん」

講演料金目安

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