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野球解説者/元プロ野球選手/アテネオリンピック野球日本代表/ 北京オリンピック野球日本代表 キャプテン
1994年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団、2004年アテネオリンピック野球日本代表、2008年北京オリンピック野球日本代表でキャプテンを務めた。
2013年8月26日に現役引退を表明。
10月4日の引退試合では対阪神戦(神宮)2番遊撃手で先発出場を最後に19年のプロ野球生活を終えた。
現役引退後は野球解説者として活動。
2018年からは東京ヤクルトスワローズの一軍ヘッドコーチに就任(2019年辞任)。
現在は野球解説や講演など、その活動は多岐にわたる。
「歩(あゆみ) ~私の生き方・考え方~」
「球道即人道 ~野球から学んだ人生への取り組み方~」
「意識力 ~意識が変われば、人は大きく成長する~」
「歩(あゆみ)~“脇役の一流”を目指した男の思考と努力~」
野球解説者
アテネオリンピック野球日本代表
北京オリンピック野球日本代表 キャプテン
アテネオリンピック野球日本代表、北京オリンピック野球日本代表キャプテンとして活躍した野球解説者・宮本慎也氏は、名人芸といわれる守備でゴールデングラブ賞を10回獲得しています。
1994年にドラフト2位で東京ヤクルトスワローズに入団。数々の記録を打ち立て、2005年12月から2008年12月までプロ野球選手会長も務めています。
また、スワローズが日本一となった2001年には、67犠打でシーズン最多犠打の日本記録を樹立。
また通算2000本安打を達成しています。
そんな宮本氏の講演テーマは「歩(あゆみ) ~私の生き方・考え方~」など。
当時の監督であった野村克也氏から「自衛隊」と呼ばれたほどの、堅い守備技術を有し、自身を「脇役の一流」とし、与えられたポジションで果たすべきチームワークの極意を披露。
ヤクルトや2度の五輪代表でキャプテンを務めたことに基づくリーダー論も興味深い知見を得ることができます。
【経歴】
PL学園高校~同志社大学~プリンスホテル~東京ヤクルトスワローズ
PL学園高校時代1987年の第69回全国高等学校野球選手権大会では唯一2年生として決勝戦に出場。
三塁手として先発出場し全国優勝。
卒業後は同志社大学に進学。
関西学生リーグでは、1990年春季のリーグ戦で首位打者を獲得プロの誘いもあったが、社会人野球のプリンスホテルに入社した。
1994年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団、アテネオリンピック野球日本代表(2004年)北京オリンピック野球日本代表(2008年)ではキャプテンを務めた。
2013年8月26日に現役引退を表明。
10月4日の引退試合では対阪神戦(神宮)2番遊撃手で先発出場を最後に19年のプロ野球生活を終えた。
現役引退後は野球解説者として活動。
2018年からは東京ヤクルトスワローズの一軍ヘッドコーチに就任。
2020年から再びNHK野球解説者と日刊スポーツ評論家に復帰した。
【表彰】
・ベストナイン1回 2011年(三塁手として)
・ゴールデングラブ賞10回 1997年,1999年~2003年(遊撃手として) 2009年~2012年(三塁手として)
・アテネオリンピック予選アジア選手権MVP(2003年)
・月刊MVP1回(2011年4月)
記録 ・2000本安打(2012年5月4日対広島戦) 通算2133本
・400犠打 (2012年9月26日対阪神戦) 通算408犠打
『歩(あゆみ) ―私の生き方・考え方―』
19年の現役生活にピリオドを打ったヤクルト・宮本慎也氏。
本書では、宮本氏が「脇役の一流」になるまでの過程がさまざまなエピソードとともに語られています。
高校、大学、社会人、プロと進むなかでさまざまな恩師と出会い、どんな指導を受け、それをどう受け止め、どんな練習をしてきたのか。
名手の誉れ高い守備力を身につけた基礎的な練習の方法、バントが上手になる構え方、ヒットエンドランの極意、右打ちと流し打ちの違いなどについて、詳細に説明しているほか、ヤクルトや二度の五輪代表でキャプテンを務めた宮本氏ならではのキャプテン論も興味深い内容となっています。
野球ファンばかりか、ビジネスマンにもぜひおおすめしたい一冊です。
『意識力』
意識が変われば人は大きく成長する。ヤクルトで三度の日本一、日本代表主将を務めた著者が、気づきを与えて人を動かす方法を著す。
『洞察力~弱者が強者に勝つ70の極意~』
相談無料! 非公開の講師も多数。
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