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河合純一
(かわいじゅんいち)

パラリンピック競泳 金メダリスト/ 日本パラリンピアンズ協会 会長/ 東京大学教育学研究科付属バリアフリー教育開発研究センター協力研究員/ アジアパラリンピック委員会アスリート委員会 副委員長

生まれつき左目の視力が無く、少しだけ見えていた右目も15歳で完全に光を失いました。
それまで見えていたものが全く見えなくなることは中学生の私には大きな衝撃でした。
しかし、私には幼い頃からの二つの夢がありました。
一つは教師になること、そしてもう一つは水泳で世界一になるということ。
目が見えないから何もできないとは思いたくありませんでした。
どうやったら夢を叶えることができるのか、真剣に、かつ前向きに取り組んでいった私は、周囲の皆さんの力添えもいただきながら、二つの夢を実現したのです。
「夢は実現してこそ夢」。私のこれまでの経験を通して、皆さんに夢の力で勇気や希望を持っていただきたいと考えます。
そして世の中には見えないからこそ見えるものがある。
皆さんにお伝えできることがあると思っています。

主な講演テーマ

「夢追いかけて」

全盲というハンデをものともせず、小さな頃からの二つの夢、中学校の教師になるということ、水泳で世界一になるという夢を実現しました。

夢を持つことの素晴らしさを実感しています。

しかしながら、現在では夢をもつことのできない人が多いことも感じています。

夢の実現は決して簡単なものばかりではありませんが、常に夢に向かって努力をし続けていく大切さと喜びをお伝えします。たゆまぬ努力と様々な苦難を乗り越え、夢をつかもうとする力が必要です。

人生の壁に直面した時に、どうやって乗り越えることができたのか。

私の経験をもとに、「夢は実現してこそ夢」だと多くの人に伝えていきたいと思います。


「夢への努力は今しかない!」
夢に向かってどのように行動をしていくのか。
目標の立て方、実現に向けての河合流「成功のサイクル」をお話します。
目が見えないからできないことがあるとは思いません。
常に実現に対してプラス思考を持っていました。教師になるという夢に対して、どのようにあきらめずに取り組めたのか。過去と未来を意識した時に今やるべきことが見えてきます。
初出場のバルセロナパラリンピックでは惜しくも銀メダルという結果から4年後のアトランタパラリンピックでの金メダル獲得までの目標に対する行動と高い志と熱い意識、結果としてパラリンピック5大会連続出場、5つの金メダルをとることができた体験と、前例がない中、全盲で公立中学校の教壇に立ち続けた体験をお話します。


「障害者スポーツについて」
「バリアフリー・人権・共生について」
など

 

主な経歴

1975年4月19日   静岡県浜名郡舞阪町に生まれる。先天性ブドウ膜欠損症のため視力は右目のみ。

 

1978年(3歳)  右目の手術を受け、0.1の視力を取り戻す

 

1980年(5歳)  水泳を始める

 

1981年(6歳)  静岡県浜名郡舞阪町立舞阪小学校に入学

 

1986年(11歳)  浜名地区西ブロック水泳大会 50m背泳 優勝

 

1988年(13歳)  静岡県浜名郡舞阪町立舞阪小学校を卒業。静岡県浜名郡舞阪町立舞阪中学校に入学。森田先生のモデルである右二先生が赴任、社会科の担当及び水泳部の顧問になる。急速に右目の視力の低下を感じるようになる。

 

1990年(15歳)  中学3年時の担任が右二先生になり、「十年後の私」という作文で教育者になりたいと書く。右目の視力が完全に失われる。岐佐神社の祭りで初めて大太鼓を叩く。静岡県浜名郡舞阪町立舞阪中学校を卒業。国立筑波大付属盲学校高等部入学、寮生活に入るが点字と白杖の習得に苦労する。また、水泳部顧問の寺西先生と出会い、トレーニングに励むようになる。

 

1992年 (17歳)  1992年 バルセロナ パラリンピック全盲部門出場(銀:2個、銅:3個)

 

1994年 (18歳)  国立筑波大付属盲学校高等部卒業。(19歳)  早稲田大学教育学部入学、下宿生活に入り、大学の点字会に入会する。寺西先生から引き続き指導を受ける。

IPC世界選手権(マルタ共和国)水泳競技出場(金:3、銅:1)

 

1995年 (20歳)  早稲田大学水泳部にお世話になるようになる

 

1996年 (21歳)  1996年 アトランタ パラリンピック全盲部門出場(金:2個、銀1個、銅1個)

 

1997年 (22歳)  教員採用試験を受験、教育実習を舞阪中学校で行う。早稲田大学を卒業。母校の舞阪中学校に社会科の教師として着任。全盲では初めて1年生の副担任を担当

 

2000年 (25歳)  2000年シドニー パラリンピック出場(金:2個、銀:3個)

 

2002年3月(26歳)シドニーの感激を分かちあった生徒たちを3年生担任として送り出す

 

2002年4月(27歳)3度目の1年生の担任として引き続き舞阪中学校にて教鞭をとる

 

2003年 (28歳) 2年間休職して早稲田大学大学院に進学(学校教育専攻)自伝映画「夢追いかけて」が劇場公開

 

2004年 (29歳) 2004年アテネ パラリンピック大会7種目に出場(金1個、銀2個、銅2個のメダルを獲得)

金メダル 50m自由形(3大会連覇)
銀メダル 100mバタフライ、100m自由形
銅メダル 100m背泳ぎ、100m×4自由形リレー
4位  200m個人メドレー、100m×4メドレーリレー

 

2005年 (30歳) 浜松市立舞阪中学校に復職。1年生の担任となる。水泳部顧問。

IBSA世界ユース選手権大会 日本水泳チーム監督

 

2006年 (31歳) 結婚。JICA青年海外協力隊としてマレーシアの視覚障害者への水泳指導

 

2007年 (32歳) 静岡県総合教育センター教育支援部特別支援教育課指導主事 着任

 

2008年 (33歳) 2008年北京 パラリンピック大会4種目に出場
銀1個、銅1個のメダルを獲得し、パラリンピック競技における日本人メダル獲得数最多となる。

銀メダル 50m自由形        銅メダル 100mバタフライ。

静岡県浜松市やらまいか大使(平成20年度 委嘱)

 

2009年 (34歳)  2016年東京オリンピック招致のためIOC総会(コペンハーゲン)にアスリートとして出席。東京アジアユースパラゲームス日本代表水泳チーム監督

 

2010年   (35歳)  公務員を辞して静岡選挙区から参議院議員に立候補

 

2012年   (37歳)  ロンドンパラリンピック大会3種目に出場 2種目入賞(4位、6位)

 

2014年 (39歳)  2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け、日本スポーツ振興センター 研究員となる

 

 

【講演実績】
教育関連・地方自治体をはじめ講演実績多数あり

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