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元水泳競技日本代表/日本知的障害水泳連盟副会長
中学3年生時に、海外遠征カナダ選手権200m背泳ぎで、当時、日本歴代2位となる日本中学新記録樹立。
高校インターハイでは、200m背泳ぎで、3連覇達成。2000年シドニー五輪、200m背泳ぎ4位、200m個人メドレー8位入賞。
2002年日本選手権では、100m、200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレーで史上初の4冠達成。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、2004年現役引退。
5年の歳月を経て、2009年現役復帰宣言。30歳にして日本代表に返り咲く。
順調な仕上がりを見せていた矢先、五輪前年である2011年4月に、子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され、手術。術後は精力的にリハビリに励み、レース復帰。
メディア出演のほかにも、講演活動は年間50本を超える。
一方で改めて、自身を育ててくれた「水」に感謝し、「水ケーション」と名付けた活動では、
水泳を通じて水の大切さと感謝の思いを伝える活動にも取り組み、一般社団法人認定アクアソムリエの資格を取得。
萩原智子杯は、東日本大震災復興の為、そして障害者と健常者が一緒に参加できる大会を目指して、全国で3大会開催。
山梨県
2008年北京五輪後、現役復帰を目指していた萩原氏は、区民プールで北京パラリンピック金メダリストの鈴木孝幸選手と出会い、パラ競泳に興味を抱きます。
鈴木選手は障害があるためにプールへの入場を断られ、メダリストでも練習の確保に困っている状況で、その際萩原氏はプールを使用させてもらうように母校の山梨学院かけあいました。
対照的にオーストラリアでは健常者と障害者が同じプールで活動しており、萩原選手が現役時代の1990年代から日常的に同じプールで楽しみ、同じプールで試合もレースも行っています。
講演では、日本と海外の障害者に対する対応の違い、少しづつ変化してきている水泳界の障害者とのかかわり方についてお話をいたします。
また、萩原氏は2014年、日本知的障害者水泳連盟理事に就任し、2023年からは日本知的障害者水泳連盟副会長を務めており、
パラ競泳の選手や指導者の皆さんと向き合う、コミュニケーションの大切さについてもお話させていただきます。
『チーム力~個の力を組織に活かすには~』
個人競技である水泳ですが、実は日本代表は日本でしかできない戦い方を取り組んできました。それは「個人競技ではあるが、組織で勝利すること」その秘策とは。「日本代表」というチームがシドニーオリンピックから取り組んできたことが、2012年ロンドン、2016リオオリンピックのメダルラッシュに繋がります。
そして、東京オリンピックでの成績を日本水泳連盟はどう捉え、今後にどう生かしていくのか。これまで日本代表がチームとして取り組んできたこととは?新しい課題が見えてきた、水泳連盟の取り組みとは?個人競技ではあるが、組織で戦うということは?本人の日本代表の経験、そして引退後の現場での取材をもとにお話しいたします。
『目標達成の極意』
オリンピック選手になるためには様々なライバルと戦わなければなりません。そしてライバルに勝つためには、まずは「克己」、自分に勝たなければなりません。どのように自分に目標を持たせ、どのように自分に打ち克つのか、その極意をお知らせします。
『私が向き合う私の人生/いつも笑顔で』
幼いころはコンプレックスの固まりだった萩原が、水泳を始めたきっかけや、様々な人との出会いから学んだことについて語ります。
本人が大切にしている「克己心」という言葉に隠された秘話とは。数々の輝かしい成績を残しながらも、2004年に現役を引退。それから5年のブランクを経て、30歳で日本代表に返り咲き、順調な仕上がりを見せていた矢先の2011年4月、卵巣嚢腫、子宮内膜症と診断されます。手術後は精力的にリハビリに励み、レース復帰。2012年4月にはロンドン五輪代表選考会に出場…。水泳選手として、厳しさの中にみられる「やさしさ」「笑顔」の大切さ。一人の女性として大きな試練をどう乗り越えたのか語ります。
元水泳競技日本代表で日本水泳連盟理事を務める萩原智子氏は、2000年にシドニーオリンピック出場。
2002年には、日本選手権で史上初の4冠を達成します。
そして、2004年に現役を引退するも5年後に復帰。
2010年日本代表に返り咲くというアスリートとして、類まれなる歩みをしてきました。
しかしロンドンオリンピック出場にむけて練習に励んでいるなか、卵巣嚢腫と子宮内膜症を併発。
2011年4月に手術をし、その後レース復帰を果たします。
座右の銘は「克己」であるという萩原氏。
何事においても自分に勝つことと自分の弱さに向き合うことは非常に難しく、水泳に打ち込むようになればなるほど、人に勝つことより自分に勝つことのほうがいかに困難か。
「克己」が重みをもつ言葉になっていったそうです。
萩原氏の講演テーマは「いつも笑顔で」「目標達成の極意~克己心~」「笑顔のアスリート学」など。
辛い練習でも、水泳を逃げ出したくなったりしたことはないという萩原氏。
くじけそうになった時でも、必死で支え背中を押してくれた家族、友人、指導者がいてくれたからこそ今日に至ったと。
そして、毎日水着に着替える時に手術の傷口を見ることが、逆に励みになったという萩原氏の言葉は、いま挑戦している方々の胸に響くのではないでしょうか。
【保持記録】
・4×100mフリーリレー日本記録
・100m個人メドレー短水路日本記録
【戦績】
・1995年 カナダ選手権
100m 200m 背泳ぎ優勝
・1996年~1998年 全国高校総体
200m 背泳ぎ3連覇
・1998年 アジア大会
100m 200m 背泳ぎ優勝
・1999年 ユニバーシアード大会
100m バタフライ優勝
200m 個人メドレー優勝
100m 200m 背泳ぎ2位
・1999年 パンパシフィック水泳選手権
200m 背泳ぎ優勝
200m 個人メドレー4位
100m バタフライ5位
・2000年 日本選手権
200m 背泳ぎ2位
200m 個人メドレー優勝
・2000年 シドニー五輪
200m 背泳ぎ4位
200m 個人メドレー8位
・2001年 世界水泳選手権
4×200m リレー3位
200m 個人メドレー7位
400m 個人メドレー7位
・2002年 日本選手権
100m 自由形優勝
200m 自由形優勝
200m 背泳ぎ優勝
200m 個人メドレー優勝*4冠達成
・2002年 パンパシフィック水泳選手権
200m 個人メドレー優勝
4×100m リレー3位
・2004年 日本選手権
50m 自由形優勝
100m 自由形優勝
・2004年 現役引退
・2009年 現役復帰
・2010年 ワールドカップ2010東京大会
50m 自由形6位
100m 個人メドレー優勝
・2011年 ワールドカップ2010東京大会
50m 自由形8位
100m 自由形8位
100m 個人メドレー2位
100m 個人メドレー5位
・2012年 日本選手権(ロンドン五輪選考会)
50m 自由形5位
100m 自由形8位
【経歴】
2013年 日本水泳連盟理事に就任(任期満了)
2014年 日本知的障害者水泳連盟理事就任。
2015年 2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会 組織委員会アスリート委員就任。
2021年 2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会では、競泳界史上初、
両大会での解説を行い、初の女性解説者となる。
2022年 日本知的障害水泳連盟副会長に就任。
2023年 日本スポーツ協会 日本スポーツ少年団 副本部長就任。
一般社団法人上月財団理事就任。
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