講演依頼や講演会の講師派遣なら相談無料のスピーカーズ Speakers.jp
NHKプロ野球解説者/元中日ドラゴンズ監督
木更津中央高校(現・木更津総合高校)亜細亜大学 ―NTT 東京を経て
1990年、ドラフト1位で中日に入団。150キロを超える剛速球を武器に鮮烈デビュー。
157キロの日本最速記録をマークし、新人投手初のオールスターファン投票1位に。
この年の最優秀新人賞と最優秀救援投手賞に輝く。
1996年6月、千葉ロッテにトレードで移籍し、直後に大リーグ2A メンフィスチックスに
野球留学。 1998年、日本ハムにテスト入団するも、右肘を手術。
再起をかけたリハビリの末、1999年10月、1620日ぶりに一軍のマウンドに立ち感動を
呼んだ。2000年、野村監督の下、阪神にテスト入団。 34歳の挑戦は“リストラの星”と
呼ばれ、共感を得た。2000年秋、引退。
2001年からNHK解説者となりオールスター、ワールドシリーズなどの解説を担当。
2009年には、WBC原ジャパンのピッチングコーチを務め、世界一に。この年、紫綬褒章を
受章。同年4月よりNHK『サンデースポーツ』メインキャスターを2年間務める。
2013年のWBCで再び、侍ジャパンのピッチングコーチを務め、2016年から楽天の投手コーチ
に。2019 年より中日ドラゴンズの監督に就任。2020年には、8年ぶりの A クラス入りを
果たし、21年、12球団NO.1防御率の投手陣を作り上げた。
2022年よりNHK解説者に復帰。
2025年より東京農業大学野球部のアドバイザーに就任した。
妻は、フリーキャスターの木場弘子氏。
「失望するなかれ」与田が子どものころから大事にしている言葉です。小学生のころから父親の闘病生活を見続け、大学時代、社会人、と怪我との闘いが続きました。やっとの思いでドラフト1位で中日に入団し157キロのスピード日本記録、新人投手初のオールスターファン投票1位、最優秀新人賞と最優秀救援投手賞を受賞するなど華々しいスタートを切ったものの、その後にまた苦難が待っていました。成績不振、手術やトレード、自由契約など苦しいシーズンが続き2000年引退。逆境の中でどのようにモチベーションを保ち、プロとして過ごしてきたのか、また引退後、解説者としてどのような視点を持ってプロ野球界を見ているのか、など様々な角度から話します。
与田が現役時代に出会った名将、星野仙一、野村克也、上田利治さんらとのエピソードを交えてリーダーの在り方についてお話しします。
もちろん、自身が中日ドラゴンズの監督として指導の面で工夫したことなどもご紹介いたします。
NTT、みずほ銀行、五洋建設、日本建設業連合会、名古屋観光ホテル、浦安ブライトンホテル、富山県、木更津商工会など
NHK「ニュースウオッチ9」
NHK「サンデースポーツ」
NHK「メジャーリーグ放送」
NHK「プロ野球放送」
『山本昌レジェンドの秘密』自由国民社
『中継ぎ力 ~リストラ社会ニッポンの新しい生き方~』ワニブックス
『一流力 サムライジャパン勝利の理由』双葉社
『トッププロに学ぶ野球上達テクニックピッチング』成美堂出版
『消えた剛速球~157キロで駆け抜けた直球人生~』KKベストセラーズ
相談無料! 非公開の講師も多数。
お問い合わせください!
Speakersでは無料でご相談をお受けしております。
講演依頼を少しでもお考えのみなさま、
まずはお気軽にご相談ください。