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アメリカ球界では、数度のマイナー落ちを余儀なくされるものの、何苦楚〈なにくそ〉と立ち上がり、チームバッティングに徹して、自身の著書のタイトルでもある脇役力〈わきぢから〉をいかんなく発揮。その結果、日本人選手で唯一、メジャーで2回の世界一を経験した野球解説者・田口壮氏。
メジャーデビューを果たしたものの、マイナー落ちとなれば、引退を考える選手が多い中、決して弱音を吐くことなく、コツコツと努力を重ね、「不可欠の25番目の選手」「出番がないのは、チームが順調だから。もし、ピンチに陥れば、必ずその力が必要になる。だから田口は欠かせない」と、控え選手として最大級の評価をされ、チームが闇に包まれたときの光明、切り札として期待されてきた。
一方で、持ち前の明るさは、豊かな文才に裏打ちされた「日記」にも表れ、それまでにないタイプのメジャーリーガーとして注目されてきた。 そんな田口氏に、何事においても強く前向きに生きる秘訣と、講演会で伝えたいことについて伺った。
(text:増田聖祥、photo:小山幸彦)
──メジャー進出は、けっして順風満帆ではなかったですね。
田口:2001年オフにFA宣言し、オリックス・ブルーウェーブでの実績を踏まえて、2002年にセントルイス・カージナルスに入団しますが、アメリカ球界独特の投球術のクセに迷い、思うように打てませんでした。
さらに、通訳とのコミュニケーションもぎくしゃくの連続で、戸惑いの毎日でした。そして、マイナーリーグのAAAどころかAAまで落とされたのです。
2003年には、オープン戦でもそれなりの結果を出していたにもかかわらず、開幕5時間前にロースター(チーム登録選手)の25人から外され、AAAでの開幕を余儀なくされました。
田口:アメリカはやはり契約社会で、お金が関係する部分には非常にドライです。まさか、控えに右バッター2人、左バッター2人、スイッチヒッター1人が入っており、右バッターの私が入るとバランスが悪くなるという理由での降格宣告があるなんて、思ってもみませんでした。
田口:確かにそのときは、頭の中はパニックでした。監督に「何か質問はあるか」といわれて、「ホームスタジアムはどこにあるんですか」と聞いたぐらいですから(笑)。そのくらい状況が把握できなかったんですよ。
──そして、オリックス時代のコーチであった中西太氏から授けられた「何苦楚(なにくそ)」という気持ちで乗り越えようと考えたと。
田口:何のために苦労しているのか、それは将来の楚を築くためというのが「何苦楚」の由来で、最初の著書『何苦楚日記』(主婦と生活社刊)のタイトルでもあります。
さらに、妻と「こんなはずじゃなかった」という一言だけは言わないという約束をさせられてしまい、一切の弱音が吐けなくなったんです(笑)。しかし、その約束のおかげで、「何苦楚」にも磨きがかかり、すべてを現実として受け入れる気持ちに切り替わったんです。
──メジャーでは、様々な出会いがありましたが、中でも、カージナルス時代のトニー・ラルーサ監督との出会いは、あらゆる面で大きな影響を受けたと思います。
──そうして、2006年にはワールドシリーズで優勝を果たしますが、まさに紆余曲折を経ての優勝だけに感無量だったと思います。
田口:2006年に頂点に立ったときは、それまでの浮き沈みでの苦労が去来してきましたね。
日本にいるときは、レギュラーでいることが当たり前でしたが、アメリカに行って最終的には控えのポジションに移り、自分の果たすべき役割が変わっていったことを認識しました。控えの選手が何を考え、どういう役割を演じているのかを知ったのです。
──2008年にはフィラデルフィア・フィリーズへ移籍し、そこで、ラルーサ監督とは違うタイプのチャーリー・マニエル監督に仕えることになりますね。
田口:マニエル監督は、ラルーサ監督のように、細かく考えるようなことはしないものの、いわゆる親分肌で、何事も「オレにまかせろ」というタイプです。私も言うべきことは言いましたし、ケンカもしましたが、憎めないタイプなんです。
──カージナルス時代とは、何もかも勝手が違っていたと。
田口:出場機会にも恵まれなかったので、「ならば、トレードに出してくれ」と伺いを立てていたんです。そのデッドラインが7月31日であり、その日にGM(ゼネラルマネージャー)に呼ばれたため、てっきりトレードに出されるものと思っていたら「これからもがんばってくれ」と。
──まさに、脇役力が、正当に評価されたわけですね。
田口:それから、不平不満を一切言わないようにしました。それまでは、25番目の私が、不穏分子になってチーム内に“毒ガス”を撒き散らせば、それが24番目、23番目と徐々に上位の選手に伝播し、控えの選手全体が不満の渦に巻き込まれます。そうなると、チームは一気に崩壊します。
──全員野球は、脇役力あってこそ、といえますね。
田口:野球の世界で、スーパースターになれるのはほんの一握り、一つまみの人だけです。それでも、みんな「自分もレギュラーになりたい。主役になりたい」と思いながら努力している。当然、私も常にレギュラーの座を狙っていました。
──これまでの歩み、これからのご活躍も踏まえて、講演で一番伝えたいことを教えてください。
田口:講演会では、やはり「何苦楚」「脇役力」について、お話しすることが多いのですが、「何苦楚」は、将来の礎を築くための苦労・努力を惜しまないでほしいというもので、それは長い人生の中でずっと続いていくものなんです。
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