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笠井信輔 講演会講師インタビュー

1963年の生まれ。早稲田大学卒業後、1987年、フジテレビに入社。アナウンサーとしてキャリアを積み、『情報プレゼンター とくダネ!』では司会の小倉智昭氏のアシスタントを務めた。
趣味は映画鑑賞。新作映画を年間130本以上スクリーンで観るほど。舞台鑑賞は特にミュージカル、とりわけ宝塚歌劇団好き。
大規模災害時には被災地の取材だけでなく、積極的にボランティア活動にも取り組んできた。
妻はテレビ東京社員の茅原ますみさん。

(text:大橋博之、photo:小野綾子)

自分が、がんになって分かったこと

──笠井さんは、2019年にフリーになられたところで、悪性リンパ腫で闘病生活に入られました。

 

笠井信輔笠井 自分が「がん」だと分かったときは、「なんと運の悪い人生だ。なんでこんな時に、なんでこんなことになるんだ!」と。本当に最低だと思いました。

 

──今、お顔を拝見していると、元に戻った感じですね。

 

笠井 標準が65kgですが、今は67kg、闘病中は62kgでした。

 

──痩せられたかと思ったら、太られたんですね。

 

笠井 「少し太りすぎたかな」とは思っています(笑)。

でも、がんになって物事の見方、価値観が大きく変わりました。

今までは「人前に出る仕事をしているので、太ってはいけない」と考えていました。そのため、食べるものも制限し、体形を維持することを、とても意識していました。

でも、「そんなにストイックにやるもんじゃない。身体に良くない」と妻からは常に批判されていました。

仕事もそうです。私は、小倉智昭さんの2倍の資料を自分で用意して大格闘するので、本番前に相当疲れていました(笑)。

それが、がんになって、「ああ、自分にいろんなことを課しすぎていたな」と気づいたんです。「もうちょっと穏やかにならないとまた、がんになる」と思って、今は70、80%で「まぁいっか」と考えるようになりました。ほどほどでやめて寝てしまうみたいなマインドに変わりましたね。

 

──すごく変わったんですね。

 

笠井 講演会では働きすぎに対する警鐘をお話しています。「私みたいになるな」と(笑)。自分にある昭和人間の悪いところを、わざとさらけ出しています。

がんになるまでモーレツな仕事人間の私はいかに家族と向き合っていなかったかということが良く分かりましたし、初めて家族の有難みが分かりました。そのことを素直に伝えています。

それと企業経営者に向けて「働き方」「健康経営」の話もよくしています。「従業員の健康をどう考えていますか?」と。

笠井信輔

統計では2人に1人はがんになる時代です。男性は3人中2人ががんになっています。私ががんになったとき「なんて運の悪い人生だ」と思いましたが、がんになるのが普通。がんになっていない人はたまたまがんになっていない、運の良い人生を歩んでいるだけです。

しかし、日本人はそういうマインドではありません。例えば100万円が3人に2人当たる宝くじが発売されたら「当たる確率が高い」と考えて買います。でも、「3人中2人ががんになる」と言っても「自分が、がんになる確率は低い」と思うんです。

この不思議なマインドが何を起こすかというと、医師から「がんです」と告知されたとき、私のようにうろたえてしまうんです。

 

──ご自身がそうだったわけですね。

 

笠井 ええ。東日本大震災の教訓からタンスに転倒防止対策を講じている方や、備蓄品を準備している人は増えました。でも、がんに対する備えをしているかというと、ほとんどの人は「俺は大丈夫だ」と個人として何もしていません。

がんの家系の人だけが備えている。それってあまりにもナンセンスです。

そのことを経営者の皆さんには伝えています。つまり、「あなたの会社の従業員は必ずがんになります」と。

統計では4人家族の誰かががんになる可能性は9割です。50年生きててがんになっていなかったとしても、90年生きていたら、いつかはがんになるかもしれないということを誰も考えていない。

がんになっても辞めない、辞めさせない、というのが厚生労働省のスローガンです。

先日、加藤勝信官房長官と話していたら、がんになって会社に迷惑がかかるからという理由で会社を辞める人が2割いるそうです。本当に日本人らしいと思いました。

その人が会社にとって優秀な人材だったら、辞められたら困るはずです。だったら、経営者はその人が辞めないよう、会社として備えをし、戻ってこられるようにする。そのマインドで経営のプランを立てないといけない。それが健康経営です。そこに対するさまざまなプランと保険、支援する会社のお話しをしています。

 

──定年が延びて、健康に対するリスクはどんどん高まっている。けれど、いつまでも健康だとしか考えていないんですよね。

 

笠井信輔

笠井 従業員が病気で一旦、退場するという可能性が高まっています。しかも、採用も難しい。余計に何十年も一緒にやって来た熟練の技師のような人が、簡単に辞めてもらっては困るはずです。

しかも、がんは早期発見なら治ります。例えば開腹手術では1か月以上休まないといけませんが、腹腔鏡だと1週間から10日で退院できます。

早期発見のための体制をどう整えるのか、これも健康経営の重要なところです。そして、戻ってくるまでポストを空けておく必要もあります。

 

──経営そのもののやり方を変えて行かないといけませんね。

 

笠井 健康経営という新しい概念で、そこに立脚しないと会社を保っていけなくなる時代にもう来ています。

 

 

コロナ禍はチャンス

──2020年に復帰されたら、次は新型コロナウイルス感染症対策による緊急事態宣言でステイホーム。仕事ができない状態になりましたよね。

 

笠井 医師から「復帰しても良い」と言われましたが、状況的にはコロナとは関係なく、抗がん剤で白血球量が落ち込んでしまってしばらく動けませんでした。

でも、リモートワークが進んだことで、入院中から病室に置いてあるパソコンやスマホで番組に出演して欲しいと言われ、退院してからも自宅からラジオやテレビにたくさん出演しています。

リモートワークはコロナ感染を防ぐための仕事のスタイルと思われていますが、実は弱者を救うツールなんです。今まで外で働けなかった身体の弱い人、あるいは障がい者、精神的になかなか表に出れなかった人たちが、肩を並べて働けるようになったことを実感しました。ITの進化によって、下に思われていた「自宅で働くこと」が、逆に「良い」という逆転現象が起きています。

その意味では、コロナ禍の世の中になって「自分も救われた」という想いはありますね。

 

──チャンスだったわけですね。

 

笠井 そうです。確かに、イベントや講演会が減って仕事は減っています。正直、フリーのアナウンサーにとって、イベントや講演会の仕事はウェイトが大きい。入院することになって数十件くらい決まっていた講演会がすべてキャンセルになりました。退院しても講演会も緊急事態宣言が延びていくに従ってキャンセルになる、という状況でした。

でも、それってみんなが、世の中全体がそうなっている。だから、「健康だったら働けたのに」という思いにはなりませんでしたね。

 

なんでもプラスに持って行く

──笠井さんのひとつのテーマである東日本大震災ももう10年ですね。

 

笠井信輔笠井 私は「東北の復活はかなり先になるだろう」と思っていたんです。あの醜さを見たとき、「元には戻せない」とも思いました。でも、今では高台移転だとか嵩上げなど、いろんなことをしながら、復活している。

皆さん、心の中ではたくさん辛いことを抱えていらっしゃると思いますが、明るく過ごしている。

東北の皆さんの頑張り強さ、粘り強さ、絆の強さを感じます。阪神淡路大震災の時の関西の人とは違う、地域性や人のあり方を学びました。

 

 

 

──災害続きで社会人の多くは気持ちが落ち込んでいると思います。どうすればポジティブになれるでしょうか?

 

笠井 私は東日本大震災で、「引き算の縁と足し算の縁」という考え方を得ました。

私は、被災地で1か月くらい取材に当たって毎日、中継していたのですが、被災地の皆さんは最初、「誰々が亡くなった」「生き別れた」「行方不明だ」「地域も分散した」と喪われた縁を引き算のようにして泣いてばかりでした。

ところが2週間くらいすると避難所で新しい友達ができたり、ボランティアの人と友達になったり、なかには「笠井さんと出会えた」と言っていただける人もいて、自分に良くないことが降りかかってきたときに出会った人や出会ったことを力にしてスイッチを切り替えて前に進むということが、どれだけ大切なことかを被災者の皆さんから教わりました。

私もがんになったとき、とにかくマイナスのことしか考えていませんでした。でも、「あれだけ皆のことを励ましていたのに、ここで自分がくじけちゃいけない。あの時の自分の経験を生かして、今こそ足し算の縁にして、入院中にあったこと、体験したことは全部自分に取り込んで、プラスの方向に持って行こう」という考え方をするようになりました。

 

講演会では楽しい話で笑わせる

──笠井さんが講演会で伝えたいことを教えてください。

 

笠井信輔笠井 今まで、私の講演会は、人権、介護、テレビの裏側、東日本大震災がテーマでしたが、そこに新たに「がんに向き合うとはどういうことなのか」が加わりました。

現在の講演会では半分くらいががんについてです。その意味では神様の思し召しではないけれど、自分にもうひとつ役割を与えてくれたんだと思っています。

やはり、人生、山あり谷ありで、落ちたときこそが勝負。そこで出会った人やことを大事にして行く。

例えば、コロナの時代で希望が叶わない人はたくさんいると思います。希望とは違う道を歩まないといけないのが今のコロナの時代だと思います。

自分の希望が叶わなかった道を歩み始めるとき、そこで出会った人たちや出会った仕事のなかで、人生を左右するような出会いとか、良い切っ掛けは絶対にあります。「なんで私はこんなことをやっているんだろう」「なんで、俺はこんなところにいるんだろう」と悔やんで生きていたら、そのチャンスを逃してしまいます。「希望の仕事に就けなかった」「大学に入れなかった」と腐っていたら何も始まらない。そこのスイッチの切り替えが重要です。

 

──他にはどのような講演をされているのですか?

 

笠井 男女共同参画もテーマです。私の先輩の女子アナは人気があって社員なのに1年契約。次の年も契約が延びるかとビクビクして。それくらい差別されていた時代でした。

私が入社するときに男女雇用機会均等法ができて、フジテレビも差別的な対応はいけないと考え方を変えたんです。

それと、私は27年前に妻の出産でワイドショーの司会を休んだんです。民放、NHKを通じて、そんな育休をとる男性アナウンサーなんていない、「イクメン」なんて言葉がない時代にですよ。今はフジテレビの勤務表の休みの項目に「妻の出産」というのがあってチェックをするだけで休めます。時代は大きく変わりました。

 

──フジテレビだけでなく、当時はどこの企業も同じでしたよね。

 

笠井信輔笠井 そうです。女子社員はお茶くみとコピーの人でした。後から入社してきた大学出身の男子が追い越して出世して行く時代でした。

あと、家族もテーマです。父親が認知症で、母が老々介護をしているので。妻の母が同居していたのですが、急性の大腸がんで亡くなっています。壮絶でした。介護とか看取りをどうするのか、家族との向き合い方についてもお話しします。

 

──硬い話が多いんですか?

 

笠井 そんなこともありません。テレビ業界が長く、さまざまな経験をしていますからいろんな裏話は得意です。メディアで言えないことでも講演会で話しています。その時は「SNSに上げないでください」とお願いしています(笑)。あと、生放送でいろいろ体験をしてきたので、なかなか外では披露できないような話もします。

 

──笠井さんならいろんな面白いお話が聞けそうですね。

 

笠井 それは間違いなく。私の講演会に参加した人が言うのは「こんなに笑うとは思わなかった」。がんの話にしても何の話をしても必ず笑いを入れます。

リアルの講演会ではホワイトボードや映像を使わないでひたすらしゃべっています。でも、オンラインではやり方を変えて、映像を効果的に入れるようにして、それを見せながらやっています。見てくれる人を飽きないで楽しませられるよう、リアルとオンラインではやり方をガラリと変えて、違うスタイルで講演会をやっています。

 

──お聞きしていると笠井さんは熱いですね。

 

笠井 それはよく言われます。どこに行っても「熱いですね」って。だからいつもクタクタですよ(笑)。講演会を1時間半くらいやっているとどっと疲れます。

 

──全力で伝えようとされている。

 

笠井 そうです。だってテレビなんて、視聴者とは画面越しですからね。こっちが熱意を持って、伝えようという気持ちがないと。ただ綺麗にしゃべっていてるだけでは何も伝わらないんです。

お笑いを見ていたら、みんな口角泡を飛ばしながらしゃべっているでしょ。マイクは優秀で、そんなに大声を上げなくてもいいんですが、伝えたいという想いが強いから、笑って欲しいという想いが強いから、熱くなるんです。だから熱いということはとても大事なんですよ。

 

──とても貴重なお話しありがとうございました。

 

笠井信輔

 

 

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