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山口真由 講演会講師インタビュー

信州大学特任准教授にして法学博士。
ニューヨーク州弁護士として活躍するほか、講演はもちろん、ニュース番組のコメンテーターや執筆などで多忙な山口真由氏。
東大を「全優」で卒業した勉強法や、コロナ時代、SNS時代の経営者の心得などについて伺った。

(text:大橋博之、photo:小野綾子)

自分に合った勉強方法を探すこと

──いまどのようなお仕事をされているのでしょうか?

 

山口真由 皆さんは私のことを情報番組のコメンテーターなどで知って頂いていると思いますが、同時に信州大学特任准教授というポストで「家族法」を研究しています。

 

 

──「家族法」とはどのような研究なのですか?

 

山口真由山口真由 私がテーマとしているのは、「父とは何か?」という問いです。すると「子どもと血が繋がっている男性がお父さんでしょ」と言われるのですが、いまや決してそうとも言い切れません。

私の専門はアメリカ家族法ですが、アメリカでは1960年代から再婚の家庭がとても多くなりました。また、現在では多様な性指向を意味する「LGBTQ+」の方々の子育て、そして、生殖補助医療の発達や養子縁組なども含めた様々な親子関係があります。つまり、「子どもと血縁がある人が父親」とは言い難い関係が増えているんです。

そのよう状況下で「法律上、父親というものをどのように定義すればよいのか」を中心に研究しています。

 

 

──それはとても興味深い研究ですね。

 

山口真由 日本では「子どもを産んだ女性が母、その女性と結婚している男性が父(=当然、血縁上の父でもある)」という暗黙の了解を前提として、父親が定義されていました。しかし、日本の社会も多様化しつつあります。「父とは何か?」という問題は、今後、より重要になってくるでしょう。

日本に先んじて、社会の多様化に直面したアメリカのケースで研究し、そこからなにか私たちの社会が学べる部分はないかと考えています。

 

 

──日本の映画でもありますよね。

 

山口真由 是枝裕和監督の映画『そして父になる』(2013年)や、『万引き家族』(2018年)など、血の繋がらない家族をテーマにした映画がありますよね。『そして父になる』は、生まれた子どもが病院で取り違えられてしまい、血縁のない親のもとで育てられるという話。

『万引き家族』は、もともと血の繋がりのない他人同士が「家族」という機能の下に集い、ともに生きてゆくという話。要するに、是枝監督は、血の繋がりや結婚していることだけが「家族」の条件なのかということを、私たちに問うているのだろうと思います。

 

──また、山口さんといえば、最初の著書『天才とは努力を続けられる人のことであり、それには方法論がある』(扶桑社/2014年)に代表されるように、「読み」に特化したユニークな勉強方法でも有名ですよね。

 

山口真由 ユニークではなく「王道」です(笑)。
勉強の方法は大きく分けると「読む・聞く・書く・話す」4つになると思います。そのうち私の場合、最も短時間にたくさんの情報をインプットすることが可能な「読む」勉強法があっていました。だから自然と「繰り返し読む」勉強法にたどり着いたわけです。

 

 

山口真由──それで東京大学法学部をご卒業する際に、平成17年度東京大学総長賞(学業)を受賞されるんですよね。

 

山口真由 実は東大を「オール優」で卒業するのに特別な才能はいらないと思います。日々の授業に手抜きをせず、試験では常に上位1/3を目指せば自ずと結果がついてきます。

私の場合、教室の最前列に陣取って教授の話をレコーダーに録音して、講義のノートを作っていました。それで上位1/3に入れなかったらおかしいですよ(笑)。それができたのは、私は同じことを続けるのが苦手なタイプではなかったからです。
天才でもない限り、授業を一回聞いただけでは理解なんてできません。だから録音して何度も聞くんです。

 

 

──アフターコロナの時代では、資格がとても重要になってくると思います。自分に合った勉強法を行うにはどうすればよいのでしょうか?

 

山口真由 先ほども申し上げたとおり、「読む・聞く・書く・話す」いろんな勉強法があります。最近だとYouTubeの学習動画を「見る」勉強法なんかもあるようですが、どの方法であれ、なるべく早く、自分に合った勉強法にたどり着くことが重要です。
一番もったいないのは、まわりが気になってしまって、いろいろな勉強法に浮気してしまうことです。
「勝ちパターン」を身に着けることも出来ず、いつまで経っても方法を探し続けるのは「勉強している感」は味わえるのかもしれませんが、じつは単なる自己満足です。自分に合う方法を選んだら、その道を信じてひたすら続けることこそが、アフター・コロナという時代に生き残る勉強法だと思います。
私の場合は「運命の参考書」から浮気しないと決めていました。

 

 

──「運命の参考書」?

 

山口真由 私は参考書を選ぶとき、街で一番大きな本屋さんに行きます。売り場にはたくさんの参考書が並んでいますよね。
それらを全部手に取ってみます。手ざわり、印刷の風合、重さなど、しっくりなじむものを丁寧に吟味します。更にそれぞれの問題集の、すでに学校で習っている単元を見比べます。その上で私は、最も解説が詳しく、情報量の多い参考書を選びます。

このとき、「自分がこだわり抜いて選んだ」という自信が大切です。そうして選んだ問題集を「運命の参考書」として繰り返し読むんです。

 

 

──でも、同じ参考書を何度も読むことはできますか?

 

山口真由山口真由 もちろん一度読んだだけでは理解できませんが、二度読めばだんだん理解できることが出てきます。二度読んだ方が新しい発見というか、「こんなことが書いてあったんだ!」とわかると面白いんです。繰り返すうちに「ここまで読めるようになった」と気づける。繰り返すごとに自分が変化することがモチベーションになります。

 

 

──なるほど。

 

山口真由 もう一つ重要なことは、「習慣」にすることです。私は何でもルーティン化するのが得意なんですが、おススメしているのは、一日の食事の時間をきちんと決めること。
ご飯とご飯の間隔はなるべく均等にしておいて、その間の時間にどの勉強をするのか当てはめていくんです。

 

私の場合はご飯を食べた直後は眠たくなるので、苦手科目などの重たい勉強はご飯の前にして、ご飯を食べた後は得意の読書にしていました。自分が集中できる時間を理解しておくと、いちいち何の勉強をしようかと迷うことも無くなる気がします。

 

 

 

恥をかくことで成長し、前に進める

──山口さんの著書には「私を前に進める力」といった言葉がよく登場します。

 

 

山口真由山口真由 はい、「私を前に進める力」という演題でモチベーションに関する講演もさせて頂くのですが、「司法試験の前は1日に19時間半勉強した」と言うと、皆さんから「なぜそんなに勉強するのですか?」と聞かれます。それだけ勉強するのは、私には「前に進める力」があるからだと思うんです。

 

 

──具体的に言うと?

 

山口真由 最初のきっかけは、必ずしもポジティブではないかもしれません。小学生のころ、跳び箱4段で骨折してしまうほどスポーツが苦手でしたし、中学生のころは顔のニキビがひどくて自分の容姿にも自信がありませんでした。友達との関係でも、相手に嫌われたくないと思うあまり、気疲れしてしまうことも多かった。

 

今思えば、多くの人も経験するようなかわいらしいものなのですが、私は「他の人にどう見られているか」を、とても気にしてクヨクヨする性分です。一方、勉強は他人とコミュニケーションをとる必要がなく、自己完結しています。自分だけで前に進むことができるんです。「人と話すより、本を読むほうがラクチン」と思って、勉強に目覚めました。

それに自分の変化に気づける。同じ教科書を何度も読んでいると、昨日より読めるようになったり。少しずつだけど自分が前に進んでいる、ということがよくわかる。自分が前に進むことで自分の視野も広くなっていきました。

 

 

──山口さんは「失敗をたくさん積み上げてきた」とおっしゃっていますが、失敗なんかなかったのではないですか?

 

山口真由 私の人生の前半はとにかく「失敗したくない病」。大学では履修科目は全ての評価が「優」でしたが、優を取りたかったわけではなく、優以外を取ったことがないので、次第に優以外を取ること自体が怖くなってしまいました。「良を取ったら明日は太陽が昇らないかもしれない」というくらいの勢いで。だからずっと失敗しないように生きてきました。小学校のときから手も挙げませんでした。

 

 

──手を挙げて間違ったら失敗になるから?

 

山口真由 そう。クラスメイトみんなが手を挙げても私は挙げない。挙げた人が答えて間違って、最後に先生が「じゃ、山口さん」と言われるまで答えない。その頃になると解答も絞られるから間違えっこないんです。それくらい「失敗したくない病」でした。

そんな私が変われたきっかけは、アメリカに留学したことです。アメリカでは自ら発言しないという態度は、何も考えていないとみなされます。それではじめて手を挙げてみたんです。答えを言ったら、クラスの皆がシーンとなっちゃって。『何かまずいこと言った?』と慌てました(笑)。でもそのとき、失敗することは挑戦したことの裏返しなんだって。挑戦した人にしか味わえない経験、それが失敗なんだと分かったんです。
今ではテレビのコメンテーターもやっていますが、実はとても恥ずかしいんですよ。

 

 

──そうなんですか?!

 

山口真由 何十万人もの視聴者に対して自分の考えを伝えることはとても緊張しますし、「言葉足らずだった」「いいようにあしらわれた」などなど、いまだに恥ずかしい思いはあります。

でも同時に、何かにチャレンジをした結果、恥をかくという経験は挑戦した者にしか得られない特権だと思うんです。テレビでは話すことに長けた方がたくさん出てらっしゃいます。私は、地方大会を経験しただけで、金メダルチャンピオンに挑んでしまったようなもの。レベルの違いを感じることはありますが、それでも逃げずにリングに上がったことは偉かったと、自分で自分を褒めて、なんとか次に向けてのモチベーションを維持しています。

 

 

──恥をかく、というのは良いことですね。

 

山口真由 かつては私も、授業中に答えを間違うクラスメイトを見てなんとなく『恥ずかしい』と思ってしまう方でした。しかし最初は見当違いな答えをしていたクラスメイトも、10回、20回、30回と繰り返しチャレンジすることでどんどん成長します。失敗を恐れて手を挙げなかった人と、失敗を恐れずに挙げ続けた人、その差は、長い期間では圧倒的なものになると思います。

 

 

──それは企業でも同じですよね。

 

山口真由 そうです。会議で発言しないと、どんどんハードルが上がって発言できなくなります。逆にポンポン発言する人は、間違ったことも言うけど、それが許される雰囲気もできるし、そのうち発言内容の精度も上がるんです。

 

 

──それも「私を前に進める力」ですね。

 

山口真由 そうです。これからの世の中は減点主義ではなくなります。できないことがあるならできる人と組めばいいだけのこと。むしろたくさん失敗をした経験値の高い人材の方が有利になります。

 

 

どこに地雷があるかを理解することが大事

──他にはどのようなテーマで講演をされることが多いのですか?

 

山口真由山口真由 最近はリモート講演も増えて来まして「アフター・コロナの日本」という演題が多いです。
日本企業は良くも悪くも「家族型組織」とでも申しましょうか、社員も家族のように価値観を同じくすることが求められ、「これが普通ですよね」という阿吽の呼吸で動くことが強みと考えられてきました。しかし社会の空気は、家族の多様化、性の多様化、それに伴う表現全般の多様化によって大きく変化しています。
そんな中おとずれた、新型コロナの時代。

日本企業も変わらなければならない部分もあるし、その一方、変えるべきではないことも見えてきました。それらをきちんと整理して、どこを柔軟に変えて、どこを本質的なものとして変えてはいけないか、そのことを改めて考え直そう、というテーマです。

 

 

──具体的にいうと?

 

山口真由 私がこのコロナ禍になって考えたのは、「リアルな体験」の価値は前にもまして高まるだろうということです。
オンライン化が進む反面、人と人とが空間を共有するという「リアル」は、人が人である限り、決してなくならない。コロナ禍であるからこそ、AIとは異なる人間の根源、誰かと何かを分かち合いたいという渇望を知ることができたことは、今後の希望だと思います。

 

そこで、今私たちが考えないといけないのは「何をリアルでやりたいのか」です。
効率化を考えると、リモートワークはさらに進んで行くでしょうし、どんな書類も印刷して、ハンコを押してというわけでは決してなくなっていく。しかし、誰かと何かを食べる、どこかに旅行する、そうやって感動を共有し、情熱を分かち合う――こういう人間の根幹は残っていくでしょう。

 

外食や旅行はより付加価値が高まってラグジュアリー化する可能性がある。効率性を重視してデジタル化すべき部分、決して置き換えることはできない部分に二極化していく世界を想定して、なにを「リアルに体験すべきもの」として残すかという判断が重要になると思います。

 

 

──効率化だけが注目されていますね。

 

山口真由 人間同士の雑談までなくしてしまってよいのか疑問です。
例えば、情報番組のコメンテーター同士は、本番中に論戦することがあっても、CM中に「先ほどはキツくなってしまってすみませんでした」「いえいえ、気にしてませんよ」といったやり取りをするだけで、進行がスムーズに行きます。雑談という人間同士の潤滑油、しかし、リモート出演ではこれができないのです。もちろん、オンラインで雑談する企業もあります。そういう空間を、インターネットの中でもあえて作ることは今後、より重要になるでしょう。

 

コロナによって「飲み会はよくない。やるならリモート飲み会」と言われていますが、リアルの飲み会では会話以外に、そのときの場の雰囲気や、周りから聞こえてくる声などから刺激を受けることもあります。コロナはイベント、外食、買物、劇場といった人生における「遊び」の要素に、直接的に打撃を与えました。そして私たちは今、人はそういった遊びというか余剰部分なしに、人間らしく生きていくことはできないと感じるようになっています。

 

 

──とても大切ですね。

 

山口真由 その他には、主に経営者の方々に向けて「ポリティカル・コレクトネス」に関する講演をさせて頂くことも多いです。
欧米では、人種・性別、その他の属性について多様性を認めていこうという姿勢がスタンダードになっていますが、日本ではまだ重要視されていないことへの注意喚起です。

 

例えば、「女医、女性弁護士、女史」といった表現を目にしますが、「男性医師、男性弁護士、男史」などの表現はほぼ目にしません。医師や弁護士は男性であることを前提に、そうでない場合だけ「女」とつける。こういうある種のステレオタイプに基づく表現も、時代の空気の変化に応じて問題になってくる可能性があります。
そのことに経営者も敏感でないと、若い世代とギャップが出来てしまう。経営者に進言できる人がいれば良いですが、上の経営者ほど申し上げることが難しくなります。

 

 

──難しいですよね。「今日は綺麗だね」と言ったことがセクハラになる。

 

山口真由 アメリカなどでは特にそうです。例えば、LGBTも今ではそれだけでは不十分だと非難されます。性の多様性はLGBTだけでなく、「LGBTQQIAAPPO2S」だと。だけど、私は、あらゆる性指向を全部含められるように、言葉をひたすら複雑にしていくことがよいこととは思いません。「ありのままにその人を見よう、多様性を評価しよう」。そういう相手への思いやりさえあれば、後は、その場その場で、私たちが心地良いラインをお互いに探っていければよいのではないかと。

 

 

──SNSについてはいかがですか。

 

山口真由山口真由 SNSに関しては、どこに地雷が埋まっているのかをきちんと理解しておくことも必要です。
ポイントは「SNSを駆使している世代は今までとはまったく違う世代ですよ」ということ。
一昔前なら、さっきちょっと強めに叱った部下でも、仕事終わりに居酒屋に連れていって、ビールジョッキを片手に腹を割って話をすれば関係も元通り、といったコミュニケーションが通用しました。ですが、SNS時代では叱ったことがスマートフォンにしっかり録音されているかもしれません。もっといえば、発言の中の極端な一部分だけを切り取って、そのほかのフォローなどは省いて編集されパワハラだと非難されることもありえます。
SNSで炎上してしまえば、弁護士が入っても鎮圧は不可能です。

 

 

──怖いですね。

 

山口真由 経営者の皆様はSNS時代だということを理解した上で経営に挑まないとコンプライアンスにも関わってきます。
SNSでは、刑法違反と倫理違反の区別はされません。不道徳な行為や発言は、自らの想定した範囲を超えて拡散されると、容易に炎上します。言い訳をすればするほど更に叩かれるという状態になります。リスク管理の考え方が変わってきます。

 

 

──SNSは分からないとは言えなくなってきているということですね。

 

山口真由 そのためには、世代を超えて風通し良く話せる環境を作ることが大事です。特定の組織内で偉くなればなるほど、一般社会のルールとは隔絶した存在になってしまい、対等に会話できる人も少なくなり、若い人からアクセスすることもできなくなります。そのため更にズレて行くということは様々な組織で起こっています。

 

 

──経営者は風通しの良い会社を目指すべきですね。

 

山口真由 それだけでなく、若い人がどんなことに興味を持っているかを知ることです。TwitterやInstagramなどのSNSを見て「面白い」と思える感覚がとても大事です。それを良い悪いで捉えるのではなく、一旦は受け止める。その度量が大切なんです。

 

 

──貴重なお話し、ありがとうございました。

 

山口真由

 

 

 

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