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吉田勝次
(よしだかつじ)

これまでに入った洞窟は国内外1,000以上。
現在進行形で未踏の洞窟を探検し続ける洞窟探検家は
どのように洞窟探検の道を歩き始め、なぜ危険がつきまとう洞窟に入り続けるのか。

洞窟探検家/一般社団法人 日本ケイビング連盟会長

主な講演テーマ

「やりたいことをやれ!極悪の悪ガキ時代から起業、そして情熱大陸へ」
「俺の人生は探検だ!奇想天外、世界の洞窟探検談」
「絶対生き残る!洞窟探検家のリスクマネジメント」
など

 

【オススメポイント】
足掛け20年以上、国内外1,000以上の洞窟で撮り続けてきた。洞窟写真と共に探検した本人しか分からないエピソードが語られます。
ゾッとするような恐ろしい写真、ハッとするような美しい写真、講演では吉田の「洞窟写真家」としての一面も垣間見ることができます。

主な経歴

山から洞窟へ
1988年冬、突然、思い立って山に登りたくなり、日本アルパインガイドの故・長谷川恒男氏より冬山雪上訓練.登攀の指導を受ける。以後、一年を通して登山の世界に入りこんでいきました。登山を始めて5年が過ぎようとしていた1994年夏、吉田はあるアウトドア雑誌のある記事に目を奪われた。社会人による洞窟探検のクラブについての記事が掲載されていた。それを見た20秒後、吉田は記事の最後に記載された電話番号に電話して、さっそくその週末にあこがれの洞窟探検へ連れて行ってもらう約束を取り付ける。多くの探検者と同様、吉田の決断と行動はとても素早い。これが、洞窟探検の組織で浜松ケイビングクラブというクラブの会長である竹内氏との出会いだった。それからというのもの吉田は、洞窟探検のイロハを教わるために毎週末を浜松で過ごした。浜松ケイビングクラブの活動に行くようになった同じ頃、吉田は東海地方でケイビングフェスティバル94というイベントが開催されることを知る。ケイビングフェスティバルとは、日本全国の洞窟研究者の発表やケイバーの情報交換や技術の向上を目的に集まる一大イベントだっだ。その年の受け入れ団体が浜松ケイビングクラブだった。吉田はそのまま実行委員となった。しかし、全国から集まる洞窟関係者のために、開催地に一週間前から泊まりこみ作業と準備、そのまま開催日からの受付、送迎などあわただしく、何が何だかよくわからないまま閉会してしまったらしい。洞窟にはまったく入れなかったということだった。

 

方向転換
その後も、浜松へ熱心に通う吉田に、浜松ケイビングクラブの会長である竹内氏が運命的な助言をする。「自分で発見した洞窟はどんな洞窟でも最高に感動するよ♪」確かに知られている洞窟でもただに入るだけで感動するのに!自分で発見した洞窟だったら。。。と吉田は思ったらしい。更に竹内氏は「三重、岐阜、滋賀はまだほとんど調査されていないから未踏の洞窟たくさんあるかもしれないよ。」それを聞いてからの吉田の活動は一変した。知られている洞窟へは行かなくなり単独で未踏洞窟の入口を探すためにあっちこっちの山に入る活動が始まった。単独で洞窟を探しに山へ行くのが当たり前になっていた。たまたま洞窟が見つかれば探検していた。山岳会に所属していた吉田にとって、新洞探査のために山中を歩き回る「やぶこぎ」に体力的な問題はなかった。しかし、1993年登山中に遭難事故を起こした経験のある吉田は仲間の必要性を痛いほど感じていた。

 

 出会い~探検チーム結成
そんなあるとき、浜松ケイビングクラブの竹内氏から名古屋に元気な大学生がいると聞き、及川元(はじめ)を紹介される。それは正に運命の出会いだった。吉田の超人的な体力とバイタリティに共振しつつ、一般社会を逸脱していた吉田にブレーキをかけられるのは及川元だけだったのだ。当時、失恋したばかりの大学生だった及川の口癖は「1年中、夏休みですから」だった。しかし、そのあと無期限の夏休みが訪れるとは及川自身も予測していなかっただろう。二人は自宅が近いこともあって、周りから怪しまれるほど、来る日も来る日もいっしょに山の中を這いずりまわっていた。知られている洞窟へは行かず、活動のほとんどが未踏洞窟の探査に費やされたのだ。竹内氏が言っていた新洞発見の感動を体感するため、休みのすべては未踏洞窟を探すための活動に費やされていった。並はずれたパワーの行き場を洞窟に求めていた二人が出会ったことによって、その力は何倍にもふくらんでいた。パワーだけで勝負していた二人に、浜松の稲垣氏が加わり、知識と経験が補われた。稲垣氏は高校生の時から自転車で近所の洞窟に行ってしまう洞窟好きで地質、生物の知識が豊富で洞窟を学術的な目線で見ることが出来た。パワーと頭脳がタッグを組み、無敵に思われた三人だが、計画性や持続性は皆無だった。このままでは三人は山の中を駆け回るだけで一生を終えていたかもしれない。

 

1995年、海外遠征で英語の必要性を強く感じた吉田は英会話を習得するために駅前留学する。そこで、担任の先生になったのが講師・葉山であった。このときすでに彼は少し太っていて、吉田は少し心配になるが、本人の強い意思もあって洞窟に行く約束をする。ハイキング気分でテニスシューズを履いて行ったのが葉山の洞窟デビューだった。その後何度もつらい目に遭いながらも洞窟の楽しさに目覚める葉山。そんな彼を、吉田はあちこち連れて回り、仲間として鍛える。なぜかロッククライミングの練習になり60mの壁にへばりつくこともあった。葉山はアメリカの大学へ行きコンピューター専門家だった。のちに葉山は当時はまだほとんど無かったチームのホームページを作成して持ち前のコミュニケーション能力を活かして、体験ケイビングを開催してメンバーを順調に増やしていくことになる。吉田、及川、稲垣、葉山と4人そろったところで、1996年吉日Japan, Exploration, Team (日本の探検チーム 通称 J.E.T ジェット)が結成される。右だ!左だ!上だ!下だ!と幾多の難関を潜り抜け未踏の洞窟の入口を探し求めてき吉田だが仲間を得たことでこれまで以上にハードな探検が行えるようになった。以後、全身全霊~すべてを洞窟探検に注ぎ込んでいく~。

主なメディア出演

活動を始めて間もない頃から、NHK グレートネイチャー、フジテレビ Earth Walkerなどドキュメンタリー番組からバラエティー番組まで幅広く関わる。現在では探検家とディレクターとしての2つの目線でフィールドを見ることができるように。出演から器材レンタル、撮影、ロケ地でのコーディネート、ロケ隊のスキルアップ講習までこなし、今までに関わった番組は100~を越える。

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