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角田信朗 講演会講師インタビュー

K-1競技統括プロデューサーとして格闘技界の発展に貢献し、空手家・タレント・歌手など多彩な分野で活躍を続けてきた角田信朗さん。幼少期はいじめに苦しむ引っ込み思案な少年でしたが、父の「悔しかったら強くなれ」という言葉をきっかけに空手の道へ進み、自らの限界に挑み続けてきました。競技者として23年間リングに立ち続けた経験はもちろん、K-1の運営に携わり世界を舞台に活躍した経験は、努力の本質や人としての成長の大切さを深く物語っています。現在は講演会講師として、企業や学校、自治体など幅広い場で登壇し、「限界の突破」「理不尽を乗り越える力」「運と徳を積むことの重要性」など、力強いメッセージを届けています。笑いとユーモアを交えながら語られる、講演依頼のSpeakers.jpでおなじみの角田信朗さんに、空手を通じて学んだ人生観と講演に込める思いについて伺いました。

(text:高田晶子、photo:遠藤貴也)

いじめられた経験から奮起 父の「悔しかったら強くなれ」

 ――角田さんが空手を始めた経緯をお教えください。

 

角田信朗  幼少期の私は、実はとっても引っ込み思案でした。人前に出ても顔が真っ赤になって、何も発言できなかったり、親の後ろに隠れていたりするような子どもだったんです。
そこに加えて、大手住宅総合メーカー勤務の父親の転勤が多かった。私は大阪の堺で生まれて、金沢、名古屋、静岡、沼津と引っ越して、小学校4年生の時に大阪に戻ってきたのですが、言葉のイントネーションが関東なので、「気持ち悪い」とからかわれて、いじめの標的になりました。殴られて、蹴られて、泣きながら帰ってくる日々でした。その時に、父親から「悔しかったら強くなれ」という一言で、目が覚めました。

 

――今の角田さんからは、一切想像できませんね……。

 

角田信朗  具体的に始めるのは、もう少し時間がかかります。私が中学生になった頃に、ブルース・リー(以下、ブルース)という香港のアクションスターがハリウッドでヒーローになります。実際に役者だけでなくて武術の達人で、その肉体の素晴らしさに私は憧れました。ブルースになりきりたくて、空手の真似をするだけではなく、ブルースの映画のサントラ版のレコードを買ってもらって、ブルースのセリフを聞いて、英語のセリフを真似することで、英語に興味を持ちます。その後、大学進学する時も、英語を専攻することになります。実際に最初にアクションを起こしたのはブルースがきっかけですね。

 

――空手を始められたのは、高校2年生の時だったのですよね?

 

角田信朗  そうです。1971年から漫画雑誌『週刊少年マガジン』に梶原一騎先生の『空手バカ一代』という作品が連載されていました。牛を倒したと言われている空手家・大山倍達先生の半生を描いており、かなり脚色されているものの、実在の空手家がたくさん登場しており、それを読んで空手に憧れました。この作品はアニメ化も映画化もされており、夢中になりました。ちょうど近所に極真空手の芦原道場ができたこともあり、入門したのが高校2年生の時です。最初に手取り足取り指導をしてくださったのが、K-1を創設した石井和義館長でした。

 

――そこから空手はずっと続けられるのですね。

 

角田信朗  厳密に言いますと、大学卒業前は、商社から声をかけていただきましたし、教員免許も持っていたので、学校の先生になるという道もありました。ただ、私は空手を続けたかったので、某スポーツクラブにトレーナーとして就職する予定でした。しかし、ちょうどその時期に、正道会館を創設した兄弟子・石井館長がかなり大きな規模の道場を神戸に出すことになりました。それで私に白羽の矢が立ち、「社会勉強も何もしてないのに、空手をやってお給料もらえるんだ」とぬか喜びをして神戸に行きました。正道会館は当時、関西で全日本大会などもやるほどで、それなりに名の通った流派になっていたので、入会者も200人くらい一気に入ってきました。しかし、私はその生徒さんたちを練習台だと思って、順番に倒していったんです。初心者なのに、基礎も教えてもらえず倒されたら、辞めてしまいますよね。すぐに20人くらいにまで減ってしまいました。それで、道場にお金を出してくれていたスポンサーさんもいなくなったりして、石井館長から帰ってこいと言われたのですが、残ってくれた20人の弟子もいるし、おめおめ帰るわけにはいかないという変な意地もあって、神戸に残りました。

 

――道場で指導や運営をしながら、他にもお仕事をされていた?

 

角田信朗  道場の収入だけでは生活が立ち行かないので、いろいろなアルバイトをしていました。日雇いで肉体労働をしたり、健康ランドの警備員をしたり、ラーメン店で働いたり、数年間、不動産業のサラリーマンをしていたこともありました。

 

空手道を通じたK-1の運営 子どもたちに伝えたい大切なこと

――角田さんご自身が選手としてのキャリアのなかで、特に印象に残っている試合、出来事がありましたら、お教えください。

 

角田信朗  私は20歳の時に全日本選手権でアマチュアとして空手の大会でデビューをして、最後にK-1で試合したのが43歳の時。23年間、何百試合もやってきた中で、3試合くらい神がかった試合はありました。もう1人の自分が俯瞰で見ていて、気が付いたら相手が倒れていたみたいな試合です。それ以外は、ほとんど納得のいかない試合ばかりです。自分の力を出し切ったと思っても結果はついてこなかったり、自分の力を出し切れていないのに勝ってしまったり。他人が見てどう評価するかはまた別の話ですけどね。

 

――K-1についても教えてください。

 

角田信朗  私は大学時代、関西外国語大学で英語を勉強していて、当時は特に何か目的があるわけでもなかったのですが、それが後にK-1という日本で生まれて世界に広まった格闘技イベントの運営に携わる立場になって役立ちます。特に海外の選手とのコミュニケーションもそうですけど、海外の大会の競技運営を一任されることが多かった。現地に行って、現地のスタッフを何百人も集めて英語で指示を出している時に、「そうか、俺が英語を勉強してきたのは、こういう意味があったんだ」と思いましたね。

 

――すごい。すべてが繋がっていくんですね。

 

角田信朗  「なんでこんな努力をしなきゃいけないんだ」「この努力をして何になるんだ」と多くの人が思ったことがあると思うんです。でも、その答えは努力を続けた先にあるものです。だから、1度でもその答えを知った人間は強い。次に努力する時に理由がいらなくなるので、努力できるようになります。それを知らないと、努力することの理由を欲しがって、挫折する人が多いんですよ。

 

――2000年代にはものすごく格闘技が盛り上がりましたよね。

 

角田信朗  1990年代から選手としてリングに上がらせていただき、ファイター以外のエンターテインメントの世界に道を作ってくださった石井館長には感謝しかありません。格闘技をやっていてタレント活動をしたり、企業のCMに出演したりするなんて、当時ではなかなか考えられませんでしたから。私がK-1に携わり始めた頃は、格闘技の試合でさえドームに5~6万人を集めて試合をするなんていう世界を想像することすらできませんでした。

 

――そう思うと、石井館長の采配が素晴らしかったのですね。

 

角田信朗  そうなんです。石井館長は22歳の時に独立して正道会館を創立されて、2年目に全日本大会を大阪府立体育館、今のエディオンアリーナで開催しました。そこが超満員になって、「プロレスと大相撲以外でこの体育館が満員になったのは、正道会館さんが初めてです」と言われました。石井館長がすごいのが、超満員になった全日本大会のチケット代を使って、映像制作会社に依頼して、テレビ大阪に持ち込んで、試合の様子を深夜枠で放送してもらったことです。そこで、かなりの人たちに正道会館の存在を知ってもらいました。翌日、石井館長に電話をした時に、石井館長は「この大会をいつか東京ドームで開催する日が来るよ。キー局のゴールデンタイムで試合が放送されて、そこに出場する選手が企業のイメージキャラクターになって、CMに出る時代が絶対に来る」と仰っていたんです。石井館長は空手の指導者としても優れた方ですが、ビジネスマン、プロデューサーとしてのセンスも抜群でした。実際に、それが現実になったんですからね。

 

――正道会館の最高師範として、軸になっている教えや信条などはありますか。

 

角田信朗  実は、私は最高師範という肩書きを返上しているんです。特にこの2~3年ほど、エンターテインメントの世界でのお仕事がかなり忙しくなりまして、こういうお仕事って定年もない代わりに保証もなく、今やっているお仕事を来年もいただけるわけではない。1度お断りすると、そこでお仕事が途絶えてしまうので、やり続けないといけません。このチャンスをいただいている時に、正道会館の師範としてのお仕事をいい加減にすることはできません。道場にも立てていないし、石井館長は本当にまめに全国の大会に出席されているのに、私は館長の名代で出席することもできないので、最高師範という肩書きを一旦返上させてください、一歩下がった立場で見守らせていただけませんかと申し出ました。ただ、正道会館に籍を置いていることは間違いないので、石井館長からは完全に退いてもらっては困るから、「最高顧問」としようと言っていただきました。この肩書きも重たいなとも思うのですが、私の役目としては実際に正道会館で教えるというよりは、空手道を通じて、私たちが学んできたことをより多くの子どもたちに伝えていくことなんです。

 

――その「空手道を通じた学びを伝える」ということを詳しく教えていただいてよろしいですか。

 

角田信朗  色々あるのですが、まずは「人の痛みを知る」ということです。殴られる、蹴られるってこんなに痛いことなんだと実感する。それと同時に、思いっきり殴ったり蹴ったりした自分の手や足も痛いんです。痛みを知った人間は、相手に同じ痛みを味わわせることに対してやっぱり躊躇すると思うし、それを暴力ではなくて、厳しい稽古、修行の中で技を磨いていく。刀を常に研いでいつでも切れるようにはしておくのだけど、この刀をめったやたらと抜くものではないんだということを、空手道を通して学べるんですね。

 

――空手を一生懸命やっているお子さんも多いですものね。

 

角田信朗  今は道場もたくさんありますし、その分試合もたくさんあり、小学校1年生から大会にも出られます。すると、子どもよりも親が必死になる。試合会場で後ろを向いた相手に対して親が「今や、蹴れ!」と言ったり、子どもが試合に負けて泣いて戻ってきたら、父親が子どもにビンタしていたりする。私が試合会場にいる時に、試合後に礼もしない子どもがいたら、駆け寄って「試合場を降りる時にはちゃんと礼をしよう。君が今日この試合をするためにたくさんの人たちが動いてこの舞台を作ってくれたやろ。君もここへ来るまでに辛い思いして稽古してきたよな。でも、相手も同じように稽古してきて、君を相手してくれた。その相手に感謝の気持ちを忘れたらあかんやろ」と伝えます。そして、ただでさえ試合に負けて泣いている子どもにビンタしている親を見かけたら、まずは子どもに「稽古した通りうまいことできへんやろ。先生なんか、そんなんばっかりやったで。ここで辞めてしまう?こんなん続けるの、しんどいよな。でも、このまま辞めたら悔しいよな。それなら、もう1回練習して、もう1回挑戦してみるか?」と言って、「次、勝てるように先生が今から必殺技1個教えてあげよう」と、ちょっと稽古をつけます。そして、それを見ていた父親に対して、「お父さんがやらないといけないことはこういうことなんじゃないんですか。お父さんが子どもの頃、こんなに頑張りましたか。ここでお父さんは子どもを抱きしめないといけないでしょ。お父さんのビンタでこの子が空手嫌いになるかもわかりませんよ。その時のお父さんの罪って大きいですよ」とも伝えるんです。

 

――お子さんもお父さんも角田さんから言われたこと、絶対に忘れませんね。

 

角田信朗  道場に「礼儀作法を教えてください」と子どもを連れてくる親御さんも多いのですが、私は「お父さん、まずあなたが入門しなさい。あなたが教えないとどうするんですか。私は子どもの頃恥ずかしがり屋だったけれど、3歳の頃には親から『こんにちは』と挨拶すること、玄関で靴を揃えてから家に上がることを教わりましたよ」と言うんです。まずは親から変わらないといけないんです。

 

限界の突破の仕方、徳を積むこと、理不尽にどう耐えるか…… 笑いとユーモアを交えながら話す講演会は常に大盛況

――角田さんは様々な経験をなされていますしお話し上手なので、講演会の講師としてもお忙しいと思います

 

角田信朗  私は講演をする時に「限界の扉」の話をよくします。私たちが考えている限界は2種類あって、私たちが言う「もう限界だ」というのは、ほとんどが心理的な限界です。「もう無理」「もう辛い」「もうキツい」と言って自ら足を止めてしまうのは、あなたたちが考えている限界なんです。心理的な限界の扉を1つ開けると、「やったぁ!」という達成感もあるけれど、すぐ目の前に次の扉があります。心理的な限界の扉をいくつもいくつもこじ開けていくと、その先に肉体の限界が来ることを、私はスポーツを通じて知っています。次の扉をこじ開けるためにどれだけしんどい思いをしなきゃいけないかという経験や勇気とともに、でもこれを乗り越えて、限界の扉をひとつずつ開ける時の達成感を知ってしまったら、やめられなくなります。それを何度も繰り返すことで、人間は成長できる。

年を重ねれば重ねるほどそういう経験ができるので、年を重ねるって素晴らしいことなんです。アンチエイジングで老いに抗うのも大切だけれども、ウェルエイジング、より良い年の重ね方をしていきましょうという話をしています。正しいトレーニングと正しい設定をしていれば、肉体を鍛えることに遅すぎるということはありません。私自身、K-1というスポットライトの当たるリングに上がっていた頃よりも、テレビのバラエティ番組に出演していた時期よりも、今の人生の方がはるかに楽しいし、充実しているなと思えるのは、そういうことを学んできたからでもありますしね。

 

――ほかにもよく話されるエピソードはありますか?

 

角田信朗  たくさんあるのですが、成功する人とそうでない人の差は、80%は「運」だという話をします。運はボケーっと待っていても巡ってくるものではありません。しかも、人間の持って生まれた運の量は決まっていて、運は使うと減るのです。運を減ったままにしておくと、仏教用語ではカルマ、いわゆる因縁が返ってくる。良いことと悪いことって表裏一体なんです。運は使ったら減るけれど、徳を積んでいくと、運が充電されていく。徳は良い行いをすること、人のために動くこと、人が喜ぶようなことをしてその幸せのために自らを犠牲にできるかどうかということだと思うんです。私は宗教に関してはそこまで興味はないのですが、お金はあの世に持っていけないけれど、この世で積んだ徳は持っていけると思っています。

 

――角田さんご自身も徳を積むようにしているのですか?

 

角田信朗  私の1日はトイレ掃除から始まります。そして、家も掃除する。外出先でもトイレを使ったら、便座などを拭いたりして掃除します。そういうことを心がけるようになってから、幸運の連鎖がある気がしています。また、そういう行いをしていると、同じ志を持つ人たちが集まってきます。逆に、人の悪口を言ったり、陰口を叩いたりしていると、どんどん運が削られてカルマも返ってきますし、同じマイナスのエネルギーを持った人たちが引き寄せられてくる。集まった人同士が足の引っ張り合いをすることになるから、絶対に人の悪口や陰口を叩かない方がいいと思っています。あと、人を恨まないほうがいい。自分に嫌なことをした人間に対して「あいつが悪い目にあったらいいねん」と思わないこと。この話は、講演だけではなく、道場でも飲み会の席でも話しますね。

 

――講演会の依頼者はどのような方が多いでしょうか。

 

角田信朗  企業、地方自治体、青年会議所、商工会議所、それから学校など、さまざまですね。ある自治体のお祭りには15年ずっと呼んでいただいていて、私が歌っている歌でバーンと花火をあげてくださいます。最近は企業からの「社内の士気を高めてほしい」という依頼が多くて、応援団長的な立場のお役目は多いですね。それが横浜DeNAベイスターズの『横濱漢祭』の応援総長のお仕事に繋がったりもしています。

 

――講演会はどのような構成でお話をされますか?

 

角田信朗  時間が60分なり90分なりあったとしたら、そのスタートからエンドまで、私の中で起承転結があって、その中にいろいろなテーマを詰め込んでお話しするようにしています。最初の5~10分は、今日のお客様、聴衆がどういう温度感の人なのかを探ります。年齢層や業種などによって、どんな話に食いついて、どんな話に興味ないかは最初で大体わかります。そして、反応が良かった話題について、この路線で話していこうと進めていきます。普段からシミュレーションもしていますし、人前で話す経験も多いですし、話のチャンネルはたくさん持っている方なので、お任せいただければ。

 

――依頼の多いテーマや反響のあるテーマは?

 

角田信朗  やっぱり人間関係の悩みが多くて、企業でいえば上司と部下の関係が難しいようですね。そういう時は、私はK-1の立ち上げから運営に携わってきた話をします。ブラック企業という言葉がありますが、私がいた頃のK-1はブラックもブラック、理不尽の塊でしたね(笑)。ましてやK-1の場合は、会社と社員の関係ではない。師匠と弟子の関係なのにビジネスを共有していかなきゃいけないから、全てを「押忍」で答えないといけないわけです。「押して忍ぶ」ですから「NO」という選択肢はないんです。今やすべて笑い話なのですが、「理不尽の中にこそ真実があるんですよ。そして、この理不尽に鍛えられたおかげで僕はこんなに強くなりました」という話をします。細かいエピソードが色々ある中で何度話してもウケる“鉄板ネタ”がありまして、それを聞いた全員が「石井館長のことがますます好きになりました」と仰るんです。「石井館長ってひどい人ですね」って言う人は一人もいませんよ。

 

――角田さんの講演会は話題は多岐に渡り内容も充実していて、ものすごく面白そうですね。最後に、今後の展望や、やりたいことを教えてください。

 

角田信朗  私は人生でやりたいことをほとんどやってきました。だから残りの人生は、ここまで大きくしていただいた感謝で、世の中にご恩返しをすることです。それが何なのか、今のところはっきりとしたことはまだありませんが、そういうことを発信し続けていくためには、体のコンディションを常にベストな状態にキープしていかないといけないと思っています。

 

――ものすごい筋肉ですものね。

 

角田信朗  私は今年65歳ですが、まだまだ筋肥大してますよ。第3次成長期ですよと話をするだけで、講演会でも説得力が違ってきますよね。仕事がなければ、トレーニングができる日は必ずやります。ただ、若い頃に比べて、回復力が追いつかなくなってはきています。寝ても疲れが取れないなら、その日はオフにする。その代わり、次の1週間はちょっとハードに詰め込むか。その結果、肉体が悲鳴をあげても、3日間でちゃんとリカバリーすればいいよねという感じで、調整しながらやっています。

 

――その努力をし続けるのがすごいです。

 

角田信朗  自分では努力をしているとは全然思ってなくて、ただのこだわりです。浮き輪にパンパンに空気が詰まっているように、自分も人前に出るからには、筋肉をMAXでパンパンにしておきたいという感覚ですね。やっぱり筋肉は雄弁なんです。私のことを知らない小さな子どもたちに銭湯などで会うと、「筋肉すごいね!」とキラキラした目で近づいてくるので、筋肉をピクピクって動かしたり、触ってもらったりする。すると、ものすごく笑ってくれるんです。そんな時、「もしこの子が私を見て筋肉に興味を持って、成長して体を鍛えるようになって『あの時、お風呂で会ったおっちゃんの影響でここまで来ました』と言ってくれたら、最高ですよね(笑)」

 

 

 

 

 

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