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鈴木明子 講演会講師インタビュー

6歳からスケートをはじめ、15歳で全日本選手権4位となり注目を集める。10代後半は摂食障害で、大会に出られない時期もあったが、2004年に見事復帰。
念願だったオリンピック出場を果たしたのは、バンクーバーオリンピックの時。バンクーバーオリンピックは、8位入賞。多くの感動を生んだ。2012世界選手権では、銅メダルを獲得。

ソチオリンピック代表選考を兼ねた2013-2014全日本選手権では、会心の演技で13回目にして初優勝。
2度目のオリンピックの切符をつかみ、個人戦ではオリンピック2大会連続の8位入賞を果たした。
講演会で伝えたいことや、スランプの時どのようにモチベーション維持を行っていたか、詳しく伺った。

(text:伊藤秋廣、photo:小野綾子)

壁にぶち当たった時にどう乗り越えていくのか?

──はじめに、主にどのような団体・企業から講演依頼を受けていらっしゃいますか?

 

鈴木 企業研修や市民講座、学校など、様々な団体様からお声がけいただきます。最近では、企業の新入社員研修の中でお話する機会をいただいて、“壁にぶち当たった時にどう乗り越えていくのか?”“目標を立てたときには具体的にどうするのか?”といった、モチベーションに関するテーマが求められるケースが増えていますね。

 

また、時には企業の社長や会長ばかりが集まる会合に呼ばれることもあります。人生の大先輩を前にして、“逆に私のほうが学ぶべきことの方が多いのですが…”というスタンスから入るのですが、嬉しいことに講演が終了すると、「君の年齢でここまでわかっているのはすごいよね」とか「若いころを思い出して、またチャレンジしなくてはダメだと思った」といった感想がお聞きできるのはとても嬉しいですし、手ごたえを感じますね。

学校に伺う際には、将来の夢や“目標を叶えるにはどうしたらよいのか?”というテーマでお話をさせていただくことが多いです。夢を叶えるために努力は必要ですが、だからといって、全員が夢を叶えることができるわけではない、という現実的な話をすることもありますし、「今は何も夢がないから、努力なんかしない」という子どもに対しては、“それは将来の選択肢を増やすために必要なことだよ”とお話をさせていただいています。

 

──学生に対しては、単純に「頑張れ!」など、夢物語ばかりを語るわけではないということですね。

 

鈴木 どうしても、“オリンピックに出場したアスリートって並大抵の精神力ではないのでは?”といったような先入観を持たれがちですが、“私はこういう風な生き方をしてきました”とか、“こういう競技生活をしてきました”というような、生い立ちや経験をお話します。私自身、日常の小さなことで傷ついたり悩んだり、不安もいっぱいあったんですが、フィギュアスケートという競技を通じて様々な面で強くなれましたし、成長もできました。そういった等身大の自分の経験談をお伝えしたいです。

人間が一番、心動かされるのは“共感”だと思います。“オリンピックに出た人でも、こんな不安があるのだ”“アスリートでも、こんなに不安や恐怖を感じるのだ”と共感していただければ、“だったら、自分も頑張れるのかな?”と思っていただけると考えています。私たちは決して、特別な人間でも、かけ離れた世界で生きてきたものでもないということを、講演の中で理解していただけたらいいなと、意識しながらお話をしています。

 

 

気づいたんです、病気が無駄だったって思ってはいけないと

──やはりスケーターとして人前に立つのと講演で人前に立つのでは、気持ちが大きく違うものですか。

 

鈴木 そうですね。講演を始めたばかりの頃は、本当にこれで良いのかどうかもわからないまま、とにかく全力で話をさせていただきました。それこそ、終わった途端に“充電切れ状態”になるほど、すべてを出し切っていましたね。フィギュアスケートの演技はわずか4分程度のものですが、講演は90分間ですから、それだけの長い時間を使って自分の経験を伝えるのは、ものすごく大変だと感じていたのですが、経験を重ねるごとに、だんだん楽しめるようになってきましたね。とにかく私の講演はシーンと聞いていただくものではなく、できるだけ笑ってほしいし、時には泣いたり笑ったり、感情が動くようなものにしたいしたいのですね。

 

──2003年、東北福祉大学に進学されてから、コーチのご自宅に下宿し指導を受ける学生生活だったと伺っています。身の回りの環境の変化から摂食障害になり健康を害されましたが、その時はどのような思いでしたでしょうか。

 

鈴木 環境の変化とプレッシャー、あとはコンプレックスもありました。手足の長い海外勢の選手たちと戦っていくことや、ジャンプが苦手で、ちょっとでも体重が軽くなれたらとか、様々な思いが重なり、“頑張らなくては”という重圧が、心の病を招いてしまいました。その時期は私のスケート人生において一番の挫折と言えると思います。

それから何とか立ち直り、ようやくスケートができるという状態になって、再起を図ろうと思った時に邪魔になったのは“前はできていたのに”というプライドでした。休業期間にはどんどんライバルが活躍し、フィギュアスケート自体が盛り上がりを見せていた時期。ひとりだけ取り残されてしまった気がして、情けなかったし、本当に悔しかったです。ものすごく後ろ向きな気持ちになっていました。高校生の時までは良かった、あの時に戻れたらどれだけいいだろうと、そんなことばかりを考えていましたね。

復帰を果たして、なんとかトリノオリンピックの代表選考会に出場はできたのですが、代表争いに残れるようなレベルではありません。観客席から最終グループの演技を見ながら、自分がそこにいないという事実を受け止めるしかありませんでした。周囲の人は「復帰できてよかったね」と言ってくださる一方で、「あの病気さえなければね」とか、「遠回りをしたね」とおっしゃる人もいました。そういわれるとすごく悔しくて・・・。

でもそこで気づいたんです、病気が無駄だったって思ってはいけないと。“あれは必要なことだった”と思うためにはどうしたらいい?と考えたら、“これからを変えるしかない”と気づいたんです。過去を変えることはできないけれど、未来だったら変えることができるって、当たり前のことですよね。そこからようやく、過去にしがみつくのはやめよう、プライドは捨てようと考えるようになりました。

病気の時というより、そのあとが苦しかったからこそ、この経験を無駄にしたくないと。人間は、絶対に転ぶことがあって、躓くことも、失敗することもあります。でも、ただでは起き上がりたくはないんです。何かお土産を持って立ち上がりたい。ただ苦しい思いをしたとか、ただ痛かっただけで終わってしまうのは嫌なんですよね。

 

──そこで、一気に気持ちを変えることができたのですか?相当な精神力ですよね。

 

鈴木 いえいえ。そこでガラッと劇的に人生を変えることができるほど竹を割ったような性格ではありません。その後も、悩んだり、尻込みしたりすることはありました。でも、今度は周りの方がそんな私をサポートしてくれたんです。“

“もうこれ以上はできないかもしれない”“もう無理かもしれない”と思っても、「いや、君はまだ大丈夫。遅咲きだから大丈夫。まだまだできるよ」って言われると、乗せられてしまう私がいました。やはり人に信じてもらうことで、自分自身を信じることができるようになるのだと、周りの人から“君なら大丈夫だ”といわれることで強くなっていくのだと、実感しましたね。決して自分の可能性をひたすら信じていたわけでなく、周りが信じさせてくれていたのです。

 

──周囲の人の心を動かす、そんな力が鈴木さんにはあったのではないでしょうか。

鈴木 講演の中でもよくお話をさせていただくのですが、私がオリンピックに行きたいという目標を掲げて、コーチやスタッフなど周囲の方々に協力を求めたとします。でも、本人が練習をサボっていたら、“その程度の思いなんだ”と、“だったら、観客としていけばいいのでは?”と思われてしまいますよね。オリンピックに行きたいと思ったら、それなりに取るべき行動があって、周囲の人がその姿勢を見て、“この子が一生懸命取り組んでいるんだから、自分も一生懸命にやろう”という気持ちが返ってくるのです。それって、“できる、できない”の話ではなく、“やるか、やらないか”の話です。“なんで周りは協力してくれないのだろう?”と感じるのは、本人が“一生懸命さ”を発信していないからだと思うのです。“一生懸命”には、“一生懸命”が必ず返ってきますからね。

 

 

あきらめてはいけない、人生はまだまだ続いていくのですから

──オリンピックでの演技に挑むまでモチベーションの維持方法について聞かせていただけますでしょうか。

 

鈴木明子鈴木 私の場合、長期の目標を定めても、それが見えなくなるタイプなんですね。例えば、私が馬だとすると、すごく遠い場所にニンジンの山が置かれていても、それに向かってひたすら走ることができないタイプなんです。だからコーチは必ず、ちょっと前にニンジンを吊るしてくれるんです。コーチは少し頑張ったら届く位置に目標を置いてくれる。それが達成できたら、また次のニンジンを手前に用意してくれる。そんなことを繰り返しながら、結果的にニンジンの山があった場所まで導いてくれました。いつしかそれを自分自身で設定するようになったんですね。一年後のオリンピックに出場したかったら、その道のりを分割して、小分けにした目標を要所、要所に置いていくのです。

もうひとつ大切なのは、目標をどんどん具体化していくことです。オリンピックに行きたいのはなぜか?オリンピックにいったら自分はどんな気持ちになって、どんな風景を見ることができて、コーチやスタッフや家族はどんな風に喜んでくれるのか。それをリアルに想像できる人が目標を叶えられるのだと思います。ただメダルが欲しいというのではなく、メダルの向こう側にあるもの、周囲の人の感情や自分の気持ちを想像する、こんな風に喜びたい、皆で一緒に泣いて喜びたいと思ったら、具体的に頑張ることができるのです。人の感情が動くから、頑張ることができるんだと思います。

 

──オリンピックの時に限らず、スランプや結果がでない時に心がけていたことはございますか?

 

鈴木明子鈴木 元々、“0(ゼロ)か100”という考えしかない人間だったので、目標が達成できないと、「もうダメだ」と諦めていました。でも、よく考えてみると、試合に臨むまでの過程において努力を重ねていれば、絶対に少しは成長しているんですよね。100という目的には到達できなかったけれども、70くらいは達成していたかもしれない。そうしたら、今度はその70の地点から始めればいいんです。残りの30を埋めるために何をすればいいかを考えれば良い。“全部無駄じゃないんだ”って考えられるようになってから、随分気持ちが楽になりましたね。「そこまで頑張ってやってきたのだから」と思えば、この頑張りをここでゼロにしたくはないと思います。無駄にしないためにはどうしたらいい?と考えるのです。わたしたちは、損得を考えながら生きていくものですから、何のために頑張っているか、具体的にわからなければ続かないと思います。

 

──現役を引退されてからは解説や、振付師としても活躍されていますが、これからやっていきたいことはありますか。

 

鈴木 人生って、本当に想定外なことが起こるものなのですが、私なんかが人前で講演する仕事をするとは夢にも思いませんでした(笑) でも、自分の経験が誰かの役にちょっとでもなるのであれば、と思ってお請けしてみたら、とてもやりがいのある仕事だと近頃は感じています。これからは講演会でお話しする機会が増えていけばいいなぁ、と感じています。

フィギュアスケートを続けていくには年齢的な限界があるのですが、人前でお話しするお仕事は経験を重ねていけばいくほどに、年輪のように幹がしっかり太くなっていくように思います。感情に訴えかけるフィギュアスケートの演技表現とは違って、言語を通して伝えるのは難しいのですが、私はできるかぎり感情が伝わるようにお話をしているというか、それを意識している訳ではないのですが・・・自然にそうなってしまうんですよね。

 

鈴木明子私の講演を聞いたからといって、今この瞬間から人生が大きく変わるわけではないかもしれませんが、ちょっと頑張ろうって思ってくださったら嬉しいですね。ドーンと強く背中を押すことはできませんが、そっと背中に手が置けるくらい思っていただければという感覚ですかね。子どもたちには、夢を持つことでどれだけ人生が豊かになるのかということを伝えたいです。言葉って大切ですし、勇気や力を与えてくれるものです。

 

──言葉って大切ですよね。コーチや恩師からの言葉で、印象に残っている言葉はございますか。

 

鈴木 私自身、たくさんの言葉に励まされてきました。特に印象に残っているのは、小学校の恩師からもらった「雑草のごとく、踏まれても、根強く伸びよ、いつまでも」という言葉。そんなにきれいに咲いた花ではないかもしれませんが、地道に諦めることなくコツコツやっていきなさい、という教えがずっと私の心の中にあります。だから、結構しぶといんですよ(笑) もちろん、日々の生活の中では、小さな“あきらめ”はたくさんあるかもしれませんが、でも人生はあきらめてはいけません。人生はまだまだ続いていくのですから。

 

──最後に講演会でお会いする皆さんへメッセージをお願いいたします。

 

鈴木 講演会では、皆さんに自分の経験を、自分の等身大の言葉で直接お伝えしたいと考えています。来てくださった方がすごく良い表情で帰ってくださるのを見ると、講演してよかったなって思えるし、最近は逆に皆さんの笑顔や拍手からエネルギーをいただいているように思えます。これからもそんな良い循環が生まれていけば良いですよね。

 

 

 

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