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東海林のり子 講演会講師インタビュー

「現場の東海林です」。 あまりにも馴染み深いこの名台詞を、随分前からワイドショーの中で耳にしなくなっていることにお気づきだろうか。もちろん今でも様々なメディアで大活躍の東海林さんだが、実はワイドショーの現場からは10数年前に卒業されているのだ。
そして、東海林さんが新たな「現場」として選んだのが講演会活動。リポーター時代に全国各地の現場を駆け回り、人生の様々な局面を実際に目にしてきたからこそ語れることがあるという。
自らの体験を再生し、そして誰かの人生を再生できることに喜びを感じるという東海林さん。真剣なまなざしで語りかけた後には必ず愉快なエピソードで笑わせてくれる生来のエンターテイナーは、今年74才を迎えて、そのサービス精神に益々拍車がかかってきたようだ。

(text:乗松薫、photo:湯山繁)

一粒で二度おいしいリポーター経験

東海林のり子──大学を卒業後、最初はラジオのアナウンサーからスタートされてますね

 

東海林のり子:本当はスチュワーデスになりたかったけど、身長が足りなくて。それで、ニッポン放送のアナウンサー試験を受験したら偶然受かってしまったんですよ。
約2000人が受験して合格したのは8人。ただ、当時の放送業界は男尊女卑の時代でね、女子アナっていうのはニュースも読ませてもらえなかった。職場も結構厳しくて、「石の上にも3年っていうだろ。それまではアナウンサーとして認めないから結婚なんかするな」って上司に言われて。
律儀に3年待って、それから大学時代のサークルの後輩だった主人と結婚しました(笑)。結婚してもしばらくは局に勤めて、長男が生まれたのを機にフリーとして独立しました。フリーになってワイドショーを担当するようになったのがリポーター人生の始まりです。

 

──そのリポーターとしての現場経験が講演会に生かされるわけですね

 

東海林のり子:事件だったり、災害だったり、結婚式だったり、お葬式だったり、そういう人生の様々な局面を数え切れないぐらい見てきたので、色々なテーマについて話せるわけですよ。それも実際に現場に足を運んで取材したり体験したりしたことなので、自信を持って話せるんです。自分でしゃべっているうちにディテールがよみがえってきたりしてね。
それでね。何よりも幸せなのは、体験したり取材したりしたリポーターとしての経験が、もう一度生かせるっていうこと。そういう意味ではリポーターとしての経験は一粒で二度おいしい。そして、それによって一人でも誰かの役に立つことができれば本当に嬉しいですよね。

 

 

 

阪神大震災の現場で、全てを体験した気がした

東海林のり子──ご自分のことを「リポーターの東海林です」とおっしゃいます

 

東海林のり子:リポーターっていうのは、現場に行って、それこそ重箱の隅をつつくように必死になって取材してって、そういうものだと思っています。
現場に行っているんですよ、リポーターは。でもキャスターに比べて低く見られがちです。だから、私は「リポーターの東海林です」って敢えてプライドを持って言う。いわゆる報道っていうものと、ワイドショーのようにリポーターが重箱の隅をつつくものと、両方が存在して初めて事件の全容が明らかになるわけですから。
講演の仕事を始めた当初は、「何で人のプライベートにずかずか入っていくんだ!」って随分言われました。だからまず、なぜ自分がリポーターとして現場に行くかを説明したものです。

 

──そのリポーターの現場を卒業しようと思われたきっかけは何でしたか?

 

東海林のり子:阪神淡路大震災のリポートをしたことですね。ちょうどあの朝はフジテレビにいて、前日に事件の取材をしていた関係で地味な格好をしていたんです。だからすぐに現場に行ってくれってことになって。10時に東京を出発して、その日のうちに神戸に入りました。
現場に入って、全てを見たって思いましたね。それまで数え切れないぐらいの現場を経験してきたけど、これ以上のものを見ることはもうないだろうって。そしてその仕事を終えて、リポーターの現場を降りました。

 

 

 

これからは「人生Yesの法則」で生きていく

東海林のり子──これからの「東海林のり子」はどうなって行きますか?

 

東海林のり子:講演活動はこれからも続けていきたいと思っています。リポーターとしての経験がもう一度生かせて、それが誰かの役に立つかもしれないわけですから、これは生きがいですよね。
それから、「こんなことやらない?」って人からすすめられたら、何でも挑戦していきたい。やりたい。どんな注文が来ても、まずやってみる。最近「東海林のり子の『人生Yesの法則』」って本を出したんですけど、私の持論は、才能って自分で分かってるわけじゃないってこと。人からすすめられてやってみると意外にうまくいって、思わぬ才能が開花したりする。
例えばジミー大西君の絵とかね。番組の企画で販売してみたら思わぬ高値がついて、それをきっかけに画家の道をすすむみたいな。才能ってそういうものだと思うんですよ。
だからこれからの東海林のり子は、「人生Yesの法則」で、やってみませんかといわれたものには全部Yesで受け止めていく。講演にしても、どんなテーマでも、私のことを必要とされる人がいたらどこへでも行きますよ

 

──ビジュアル系バンドの応援も続けていきますか?

 

東海林のり子:あ、それはもうライフワークですから。ワイドショーでX JAPANの取材を始めたのが20年ほど前かしら。今でもライブには行ってますよ。(鞄からカードを取り出し)これ。Xの運営委員会に頼んで名刺を作ってもらっちゃったの。自慢の名刺(笑)。
この間も、hideの追悼コンサートで開会宣言をやらせてもらいました。観客にむかって「かかって来いよ!」って。で、それを合図にDJ OZMAがダンサーと一緒に登場して(笑)。

 

──最後になりますが、リポーターという仕事は東海林さんにとって天職ですか?

 

東海林のり子:間違いなく天職ですね。とにかく知りたいんです。いまだに消防車とパトカーのサイレンを聞くと追っかけてしまいますから。本能なんですかね(笑)。

 

 

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