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梶原しげる 講演会講師インタビュー

かつてブラウン管の中に登場する梶原さんには、いつも「文化放送アナウンサー」というテロップがのっかっていた。
著名な作家が「シミジミドリンキング♪シミジミリィ~イ」という一風変わった「舟歌」の英語版を耳にして獄中で涙したというエピソードを聞いたことがある。その歌い手も梶原さんだった。
まるで、パシン!とミットに収まる白球の音を聞いて見上げると、ピッチャーマウンドにサッカー選手が立っていたような…。そんな印象を梶原さんに抱いたままインタビュー前にあらためてプロフィールを覗いてみると、そこには「東京成徳大学応用心理学部客員教授」という肩書きが加わっていた。
今度は白衣か!?
いくつもの顔を持ってマウンドならぬマイクの前に立ち続ける梶原さんの、その実体!について、梶原さんのホームグラウンドであるラジオ局のスタジオ(JFNスタジオ)で語っていただいた。

(text:乗松薫、photo:湯山繁)

仲間うちで共通語をしゃべれたのが私だけ。だからアナウンサーになろうかと(笑)

梶原しげる──学生時代からアナウンサー志向が強かったのですか?

 

梶原しげる:いえ、そういうわけではないんですよ。私は大学時代ずっとバンドをやっていまして、結構本格的で、夏はホテルのプールサイド、冬はスキー場、残りは旅公演という感じで、一年中全国を回っていたんですね。
ところが卒業したらやっぱり就職しないといけない。そんなことを冬のスキー場で仲間と話している中で、ある友人が「いいじゃないか、梶原はアナウンサーになれば」と言ったんですね。仲間はみんな地方出身で、共通語がしゃべれるのは私だけだったんです。ただそれだけの理由で、だから梶原はアナウンサーになればいいんじゃないか、と。
放送研究会やアナウンス研究会に入っていないとアナウンサーになれないような時代だったんですけど、「おお、そうか。俺はアナウンサーになればいいんだ」と思ってしまった(笑)。それでアナウンスアカデミーの直前講座を受けに行きました。それがアナウンサーになるための唯一の勉強でしたね。

 

──そして文化放送に入社されます

 

梶原しげる:実は文化放送が募集していたのはスポーツアナウンサーだったんですね。ところが私は、野球も行ったことがなければ生でスポーツを見たこともない。何度目かの試験では神宮球場に連れていかれて、「大学野球の中継をしろ」と言われました。中継しろと言ったって、中継の仕方がわからないんですよ。
でもほかの受験生はアナウンス研究会であったり、放送研究会だから、神宮球場の中継くらいはやるのが当たり前なんですね。だけど私は何をどうしてよいのか、手順が全くわからない。仕方がないから大声を出して、「さぁ、ここは神宮球場です。野球といえば神宮球場だ。これはすごいぞ!」みたいな、わけのわからない中継をやって、それが審査官にインパクトを持って受け止めてもらえたらしいんです。
技術的な部分は経験がないからできないけど、潜在能力はどうもあると。なぜなら声がでかいからと(笑)。のどかな時代だったたんですね。

 

 

 

川崎球場で酔っ払いに絡まれながら中継の練習をしたんですけど、結局仕事がなくなりました

梶原しげる──その後、ディスクジョッキーとして活躍されます

 

梶原しげる:スポーツアナウンサーとして文化放送に入社したんですが、スポーツのことが全然わかりませんでした。先輩に毎日遅くまで指導していただいたり、川崎球場でテープ回して練習してみたり、一年間頑張ったんですが、結局ものにならずにスポーツをはずされてしまったんですね。
それからしばらく、局には行くんですけど仕事がないから、「取材」と書いて寄席や映画館に通っていました。そんな時にある人が、「走れ歌謡曲」という番組でトラックの運転手さんを集めて、パーソナリティがみんな一堂に会して運動会をやると。で、その司会をスポーツアナウンサーに頼みたいんけど、みんな忙しいから、「お前やれよ」ということになって。それがいい加減な、大食い競争とかどうでもいいゲームばっかりなんですね。
でもやってみたら、私の司会が面白いってことになって。純粋なスポーツはできないけど、何となく中継っぽいと。それから結構重宝されて、イベントで“スポーツまがい”の中継をやるようになったんです。それを見ていた制作の人が、「バラエティのようなものをやらせたらいいんじゃないか」ということになって、「セイヤング」を担当したり、イングリッシュ演歌を歌ったり、そういう路線に入っていくんですね。

 

──テレビにも活躍の場を広げられていきます

 

梶原しげる:不思議なもので、文化放送の社員でありながら、「なるほどザ・ワールド」や「プレステージ」に出演していたんですよ。本当はありえない「11PM」にも出ていました。文化放送は懐が深いというか、度量がある会社でしてね。
「なるほどザ・ワールド」をやるときフリーにならないかという声がかかってきて、会社に辞表を出したんです。35歳の時かな。そうしたら「ちょっと待て。それは、文化放送に居ながらできないか」という話になって。文化放送は給料を払うし、「なるほどザ・ワールド」のお金はお前がもらえばいい。文化放送に来なくていいから、フジテレビで仕事すればいいと。で、急に辞める気持ちが萎えて、そのまま居て。「プレステージ」なんかレギュラーですからね。

 

 

 

天才じゃなくても、みのさんや久米さんのような天才を分析できるんです

梶原しげる──2000年からは心理学の勉強も始められました

 

梶原しげる:以前、ある人に非常に鋭い指摘をしていただいたんです。「梶原君はねぇ、チャラチャラペラペラとよく喋るけど、それは40代まで。50代になったら、キミは専門性がないから通用しない」って。もうおっしゃる通りで。それから50代をどう生きるかということを真剣に考え始めました。
そんな時に、たまたま私の高校時代の後輩が会社に勤めながら社会人大学院に通っていたんですね。それで私も働きながら大学院へ行こうかなと。で、何を学ぶかという時に、ちょっと興味があったのがカウンセリングだったんです。
当時、國分康孝先生の「悩むのは頭が悪いからだ」という論理療法というものの考え方に共鳴して、先生の本を読み始めるわけですよね。これをちょっと勉強したい、できれば國分先生から学びたいと思って。國分先生が教えていらっしゃる東京成徳大学大学院に入学して心理学の勉強を始めました。そして卒業後にシニア産業カウンセラーの資格を取得しまして、今は週に1回、一般の方のためのカウンセリング業務を行っています。

 

──心理学を学ばれた経験を、これからの活動でどのように活かされていきますか?

 

梶原しげる:例えば、私の先輩のみのもんたさんとか、久米宏さんとか、それから島田紳助さんとか明石家さんまさんとかは、いわばコミュニケーションの天才ですよね。そして、そういう天才たちとのエピソードを面白おかしく連ねるだけのアナウンサーは結構います。
ところが、どうしてその人たちが面白いのかは、一般的なアナウンサーにはわからないわけです。そういう研究をあまりしないんですね。
でも私には、なぜそういう人が面白いかということがわかるわけです。心理学的なスキルに落とせば、さんまさんがなぜ面白いのか、具体的、客観的に分析できるんです。「さんまさんにはなれないけど、さんまさんのスキルやテクニックというものは学べるよ」ということを、わかりやすく伝えることができます。いわば翻訳家ですよね。
心理学のスキルを使って様々なエピソードを分析して、それを日常の対人関係やビジネスの中でどう役立てていくかを提案する。どうしたら良好なコミュニケーションがとれるようになるかということを、皆さんにわかりやすく伝えていく。講演会を含めたこれからの活動の中で、私自身がそんな役割を担えればと思っているんですね。

 

 

 

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