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渡部陽一 講演会講師インタビュー

泣いている子どもたちの声をたくさんの人々に届けるという使命のもと、世界の国々に赴き、様々な現実を伝えてきた。危険な紛争地帯で命を落としかけたこともある一方、現地の人々のやさしさや、子どもたちの笑顔に救われたことも多いという。カメラを抱え世界を舞台に活躍するグローバル人材。
いかに過酷な環境に置かれても、強く生き抜くための知恵をこの人から学ぼう。

(text:志和浩司、photo:小山幸彦)

戦場カメラマン以外の仕事をするという考えはなかった

渡部陽一──戦場カメラマンを目指されたのはいつ頃ですか?

 

渡部陽一:子どものころは魚釣りが大好きで、海洋学など海に関わる仕事をするのが夢でした。でも大学生になって、授業を通し、アフリカの狩猟民族に興味を持って、ぜひ会いたいと現地に行ったんです。
実際にその地域に入ると、当時ルワンダ内戦という民族紛争のなか、たくさんの子どもたちが泣いていました。自分に何ができるか悩み、父の影響で子どものころから好きだったカメラを活かし、少しでも状況を知ってもらうこと、そんな思いでカメラマン、国際報道の道に入って行ったんですね。

 

──実際に戦場カメラマンになられて、ご苦労も多かったのではないですか?

 

渡部陽一:最初は写真で食べていくことが難しかったです。現場で写真を撮り、新聞社や雑誌社、ラジオ局をまわり、「これがアフリカの、泣いている子どもたちの現状です」などと届けても使っていただけることがほとんどありませんでした。なので、生活と取材費を稼ぐため、港湾で日雇いの仕事をしていました。そんな毎日が十年以上続きました。
それでも、泣いている子どもたちの声をたくさんの方に届けること、その覚悟が強く、別の仕事をするという考えはまったくありませんでした。勝負をかけた、二十歳の青春でしたね。

 

 

紛争地の子どもたちが持つ誇りと夢

渡部陽一──紛争地の子どもたちはどんな夢を持っていますか?

 

渡部陽一:極限の状況下に暮らす子どもたちに出会ったとき、驚いたことがあります。戦場であっても、笑顔を浮かべる瞬間があるんですね。そして家族らも、自分たちは絶対的な不幸ではなく、生まれた土地を愛し、家族の血を大切に護り、慣習や伝統を伝えていくという思いがぶれない。そんな中で子どもたちも、大人になったら「弁護士になる」「医者になる」「教師になる」「エンジニアになる」などと、具体的な目標を語ります。それは、自分たちの傷ついた土地を回復するため、なんですね。
「他の国に逃げたほうがいいのでは」と、外から見ると感じるのですが、そこで暮らす子どもたちは、胸を張って生きています。

 

──日本人が当たり前と思っていることでも、紛争地域と比較すると、極めて特異で恵まれていると思われる点はありますか?

 

渡部陽一:日本では、いろいろなことを選べます。食べるもの、休日の過ごし方、仕事…。この、選べる自由が日本の魅力です。ところが、紛争地域の方々には選択の自由がないのです。独裁者がいる地域もあれば、誰も戦争をしたくないのに周辺からすべてを奪われてしまったり、ひとつひとつの自由というものが自分の判断で選べなくなってしまったりしています。それが、政情不安定な状況に立っている国の実情です。

 

──戦場カメラマンという仕事において、特に、辛いと思われることを教えてください。

 

渡部陽一:食べるものがなくなると、人は動けなくなるんですね。気力はなくなり、体が意識と離れていく感じになります。ジャングルで食べ物が尽きて、動けなくなったとき、森で暮らす方々が食料をくれて助けてくれました。僕がまだまだ知識も経験も浅かったがために、自分自身の過失という部分ではあるのですが、その経験が食べ物や水、危機管理、現地の方とのふれあいに対する意識を変えました。準備、情報の整理、段取り、人とのつながりなどを丁寧に考えるようになりました。大人への階段への一歩だったかもしれません。

 

──もしも「戦場カメラマンになりたい」という生徒がいたら、どんなアドバイスをされますか?

 

渡部陽一:この仕事を勧めることはしませんが、志している方にアドバイスするとすれば、安全を最優先にすること。危機管理、そして情報、人とのつながり。また、現場に行くという行動力。それらを整えてほしいですね。
動くこと、会いに行くこと、聞きに行ってみること、ふれてみること、食べに行ってみること、感じたことをどんどんひとつひとつ踏み込んでいく、これがカメラマンに限らず、どんな職種でも力になってくれる基盤です。動くと、いろいろな人に出会える。気づきがあると思いますね。

 

 

「グローバル人材」になる秘訣

渡部陽一──かねてより渡部さんがご講演の中で紹介されてきたマララ・ユスフザイさんが2014年にノーベル平和賞を受賞されました。マララさんのエピソードを通じて、恵まれた国・日本の子どもたちにどのようなメッセージを伝えていますか?

 

渡部陽一:「さあ、やりたいことをやってみよう」。それが、マララさんはじめ世界で出会ってきた方々とのふれあいから、僕が日本の子どもたちへ送りたいメッセージです。
勉強だけでなく、ゲームでも読書でも漫画でも遊びでも釣りでも、なんでもいい。それも計画的に、1週間のこの時間だけはこれをやる、というふうに決めてやる。
何でも自由なことは日本の当然の日常になってしまっていますが、これだけはやってみようという一つを決めてしまうこと。それが1か月、3か月、1年経ったときに動きを変えていく原動力になる気がしますね。

 

──戦争を皮膚感覚で知らない日本の子どもたちが、平和の重要性を学ぶのに必要なことはありますか?

 

渡部陽一:「旅に出よう」。それが世界とつながるきっかけになります。子どもでは海外に行くことは難しいでしょうが、知らない土地や遠い所に暮らす友達や親族に会いに行く。大人が外国へ行ったときに感じる、ひとつひとつ手探りの感覚というものは、子どもたちも知らない土地へ行くことで味わえると思います。
世界中の子どもたちに共通していることですが、子どもたちは、笑っているんですね。これは、万国共通です。紛争地では泣くこともありますが、笑いもある。あの笑顔の力に僕は期待しています。

 

渡部陽一──現在、文科省主導のもと、教育現場では「グローバル人材育成」が推奨されています。百数十カ国を取材されてみて、世界に通用するグローバルな人材として成長していくためには何が必要だと思われますか?

 

渡部陽一:「これだけは絶対に得意だ、これで仕事をやろう」という得意分野を持つことです。マニアックなことを極める。釣りのリールを分解して作れるとか、デッドストックジーンズの見極めができるとか、得意分野を極めて、いわば究極のオタクになると、言葉や文化、宗教を通り抜け、世界がリスペクトしてくれます。

そして、周りの目を気にしないという意識を持つことがグローバルだと思います。こんなこと言ったら恥ずかしいのではないか、英語ができないと恥ずかしいのではないか、そんなものは無視。学校でも、先生に聞きたいことは聞く。レストランでも、ウェイトレスがメニューを間違えて持ってきたら、ちゃんと替えてくれという。そういった一つ一つを、周りの目を気にせずにしっかりと出せるか、これがグローバル化の原動力だと思います。

 

渡部陽一

 

 

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