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清原伸彦 講演会講師インタビュー

1941年、大分県出身。日体大水球部監督として公式戦376連勝と黄金時代を築き、1984年ロサンゼルスオリンピックでは水球競技日本代表監督を務めた。
集団生活の基本として「集団行動」を研究・指導、日体大の実演会での披露をはじめ、テレビ朝日の番組でもシリーズ化され好評を博している。
また、NHKスポーツ教室の番組にて長年に渡り指導、教育機関や企業のビジネス研修での講演も人気。
さらに2014年ソチパラリンピックでは開会式における集団行動を演出、指導。今、注目度急上昇中の清原氏に話を聞いた。

(text:志和浩司、photo:吉田将史)

子どもたちを自分の感情で怒ってはダメ

──スポーツとの出会いについて聞かせてください。

清原伸彦

清原伸彦:僕は大分県の生まれですが、3歳の時に家族で大阪に引っ越しましたから、大阪生まれといってもいいかもしれません。
母が3歳の終わり頃、疎開先で亡くなってか

らは父が一人で、私と姉、弟を育ててくれました。
父は真面目な教育者で、「他人と一緒になって集団で何かする勉強をしなさい」と小学校の終わり頃から、

街の柔道場へ通わせてくれた事がスポーツとの出会いですね。

 

──お父様はどんな方でしたか?

 

清原伸彦:私は父から怒られたことがないんですよ。何か失敗をすると、父は必ず言い聞かせてくれました。
手が出るわけじゃなし、怒鳴るわけじゃなし、ただ一緒に正座をして、”なぜこういうことになったのか、どうすればいいのか”諭してくれた。
だから僕も保護者の方へ、「子どもたちを自分の感情で怒るのではなく、言い聞かせなさい」と伝えます。

 

──日体大へ進学したのは、お父様の意向だったのですか?

 

清原伸彦:違いますね。中学までは柔道で結構強かったんですが、高校に入ってから父に「上には上がいるし、柔道では将来食っていけないぞ」と言われ、高校の3年間はスポーツは何もせずに、弁護士になろうと猛勉強しました。
そんな中、体育主任の先生から、「俺の母校へ行かないか」と日体大進学を勧められたんです。

 

──どんな学生時代だったんでしょうか。

 

清原伸彦:高校は受験校だったので日体大へ行った生徒は僕が初めてでした。知っている先輩はいないし、スポーツから遠ざかっていたので競技力もゼロ。
バスケットボール部に入ったんですが、まわりを見ればインターハイ出場経験者など、それぞれ鳴り物入りで来た連中ばかりで、とても苦労しました。

 

 

 

私についてくれば、必ず感動を与えてやる

──水球との出会いは?

 

清原伸彦:1963年に日体大卒業後、高校教師になりました。赴任先の高校で指導者が不在だったために門外漢だった水球部の顧問をすることになったんです。
1970年には日体大の体育学部講師に着任するとともに、大学水球部監督に着任しました。そして教授になり、1984年のロサンゼルスオリンピックには日本代表監督としてチームを率いて出たんです。

 

──水球は、競技者としてはご経験がない種目だったんですよね?

 

清原伸彦:ええ。自分で選手経験がないから、藁をも掴む思いで、一生懸命やっている教え子たちのために必要なことはしなくては、と思いました。
勝たせるためには審判の心理を勉強しなければと、ドイツへ行き7年がかりで国際A級審判の資格を取りました。ライセンスがあると人が信用する。清原がやってることは間違いじゃない、と見え方が変わるんです。

 

──チームをどのように率いましたか。

 

清原伸彦:人間、きつくなったらどこかでさぼります。そういうところが試合に出て負けてしまう。
だから僕は、「30分集中しろ」「10分集中しろ」と言う。「例えばこれは試合の中のこういう場面で役に立つからな」と言い聞かせる。
私の言うことについてくれば、必ず君達に感動を与えてやると言うんです。でも、「感動するにはキツイぞ、耐えられなかったらダメだぞ」ということも伝えます。

──指導法に、お父様から受けた影響はありますか?

清原伸彦:ルーツは全部、父ですね。夢のある、やる気にさせることを話し合う。
僕は出来ない子には怒らない。きつく当たった子には、実はこういう理由で厳しく指導したんだと種明かしする。成功したからって疑問を残したまま人生歩かせてはダメ。失敗を恐れずまず実行。それに身体で覚えたことは忘れない。一度自転車を覚えたら、10年ブランクがあっても乗れるでしょ。

 

 

楽しいこと、なるほどなと思うことを練習のテーマに

──清原さんの代名詞とも言える「集団行動」はどこから生まれたんですか?

 

清原伸彦:勤めて2年目に長崎へ修学旅行に行ったんです。平和記念像の前で記念撮影する時に、イスに段差がついているのに気づきました。
1列目、2列目って並んで行くと、自然とみんな顔が見えるように並ぶことが出来てる。これはうまいなと思いました。あれは集団行動のヒントになりましたね。
それから、渋谷のスクランブル交差点。一斉に動いているのに、誰もぶつからない。

 

──「集団行動」をどのように指導しているのでしょう。

 

清原伸彦:集団行動の指導の時に、「右へ回れ」「次、こっち来い」では皆、嫌になってしまうんですよ。
三歩歩いて止まれと言えば止まりますが、止まった時にバラバラ。歩幅や止まるタイミング、10人いたら10通りみんな違うんです。それでは集団行動にならない。
何か楽しいこと、なるほどな、と思うことをテーマに練習をやらなきゃダメです。それぞれ捉え方も意識も違いますから。

 

──「集団行動」は組織運営にどう役立ちますか?

 

清原伸彦:自分一人では集団はいきない。周りを気にして、人に合わせる。手をさしのべる、思いやる。自分がその集団で今何をすることが一番いいのか、判断する。その環境、条件の中で、自分はどうしたらいいのかということを覚える。
それをみんなができれば、集団は生きますよ。渋谷のスクランブル交差点も、まわりを見て気を使うから、ぶつからないんです。

 

──最近、日本の会社でも我慢できない社員が増えていると聞きます。

 

清原伸彦:やり方が悪いんです。段階を踏んで理解させれば、やりますよ。
戦後は家族が食べて行くのに精一杯で、子どもたちも一つの部屋にみんなで寝ていた。今の子どもは個室。僕が大学の寮に入った時は6畳に4人で寝ていた。先輩が奥です。夜中にトイレ行くとき、踏んづけて行くんです(笑)。それから僕は横向いて寝ることを覚えた。こういったことも知恵のひとつですよね。

 

 

 

自分一人では集団は生きない。手をさしのべる、思いやる

──ご自身は逆境を体験されたことは?

 

清原伸彦:水球で連勝街道を走り始めた頃、「水球未経験者が監督なんて、練習が終わったら選手を殴ってるに決まってる」とか、悪口もずいぶん言われました。
これには疲れましたね。そういうプレッシャーが、一つの逆境かな。そこで精神的に参ってたらダメでしたね。だって、全部のチームからそういうプレッシャーが来るんですから。

 

──逆境をはねのける対処法はありますか?

 

清原伸彦:競技経験がなかったですから、負けてもともと。プライドもないから謙虚に立ち向かいました。
あえて言うならば、選手が一生懸命やっているから、この選手をなんとかしてやんなきゃ、ということ。そのために必要なのは、私の知恵と判断、そして決断なんです。
私自身のことなんか何も考えなかった。みんな、水球したことがない私について来てくれるんですから。

 

──それは企業にも通ずることですよね。

 

清原伸彦:もちろんそうですね。ですから企業から講演を依頼されることもあります。大企業以外にも、地方企業の社長からオファーがありますね。
たとえば、中間管理職というのは何をするかと言うと、まず部下の能力を引き出すこと。コーチと選手の感覚と同じですよね。上は見なくていい、下に目線をやれと。人は誰しもポジションが欲しいから、上司を意識するようになってしまう。

 

──どうすれば社員はわかってくれるんでしょう。

 

清原伸彦:自分の立場と相手の立場を理解すること。
(コーヒーカップを手に)この取っ手は僕から見たら右にあるが、あなたから見たら左。でも同じ器です。一つの物事でも、上司と部下とでは見え方が違う。
「これは右だろ」「いえ、左です」と、こういう会話がよくある。その時、「そうか、どうして左に見える? こう角度を変えてみたら、右にも見えるんじゃないか?」と教えてやれると、部下もなるほどなと思う。
今の企業は、そこで教える余裕がないんじゃないですか。社長がいて、社員がいて、みんな仕事が違うけれど、成果は一つ。点が線につながったら、成果が出るんだということをちゃんと言い聞かせる。「お前のこの仕事は、凄いことやってるんだぞ。期待してるぞ」と。
そう言い聞かせてやれば、社員にもスイッチが入りますよ!

 

 

 

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