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80年代、実に月間120万部を売り上げたといわれる雑誌「POPEYE」。シティーボーイに憧れる男子なら一度は必ず手にしたであろうその若者たちのバイブルの中で、当時No.1モデルとして一世を風靡した木村東吉さんは、いわば元祖シティーボーイ。バブル前夜の男子たちの憧れの的だった。
その木村さんが東京を離れ、アウトドアライフ実践のために河口湖の畔で暮らし始めてすでに10余年。海外から材料を取り寄せ、2年の月日をかけて自ら壁塗りの仕上げを施したというサンタフェ建築のマイホームで我々を迎えてくれた木村さんは、よく焼けた肌にブルーのシャツとジーンズのスタイルが決まっていて、「壁が素敵ですね」というカメラマンに、「そう言われるのが一番うれしい」と、ひとなつっこく微笑んだ。シティーボーイというよりも、頼もしいアニキかな?そんな風に思いながら、手塗りの壁とターコイズブルーの空間で、木村さんのGREAT LIFEについて話をうかがった。
(interview:佐保充邦[タイム]、text:乗松薫、photo:今井美奈)

木村 いえ、モデルになったのは本当に偶然です。まだ大阪にいた18のときに先輩に誘われまして。当時はお金に困っていたから、稼げる仕事だったら何でもいいやということで始めたら、でかくて若い人間を探していたスポーツメーカーからイメージにぴったりだって運良く声がかかって。お金はよかったですね。モデルを始めた月に、4本ぐらい撮影が入ったんですが、それだけで以前の1ケ月分の給料よりも稼げましたから。何だかそのまま順調に売れてしまって、20才のときに「もっと稼げるよ」って誘われて東京に出たんです。ただ、東京へ出てからはしばらく全く仕事がなくて、仲間も知り合いもいないから精神的にもきつい時期でしたね。で、1年ぐらいして大阪時代の貯金も食いつぶしてしまった頃に、先輩の代打でPOPEYEに出させてもらって。そこからですね。何とか活躍できるようになったのは。ただ、お金が稼げるってことが出発点だったように、僕はモデルという仕事に夢を求めていたとか、そこが終着駅だとかは全く考えていなくて、自分自身がメッセージを発信できる存在になりたいとずっと思っていました。
木村 24才ぐらいのときに、POPEYEの仕事で八ヶ岳にツーリングのロケに行ったんです。モデルをやっているとよくあることなんですけど、撮影が押して帰れなくなった。それで泊まったのが、長靴をはいたピンクのネコが表にでっかく飾ってあるようなペンション。当時、まだ付き合っていた頃の女房に電話して、「何号室に泊まってるの?」って聞かれたから、「いちご畑の部屋なんだけど」って。とても素敵な自然の中なのに、これは何だ!って。プライベートでは絶対泊まらないぞって思いましたね。旅館というのもちょっと敷居が高いし、じゃあ俺はキャンプをやろうって。それからですね、アウトドアを始めたのは。僕のキャンプはアメリカの影響を受けていて、山登りや釣りが一次目的で、キャンプは最低限寝泊りできればいいというのではなくて、食べることや寝ること、それ自体を楽しもうというスタイル。だから、料理にもこだわるし、ベットだって持って行く。料理はもともと好きで、POPEYEでも連載を持たせてもらっていました。東京に出てきて仕事がなかった時代の経験から、きんぴらとか出し巻きとか、4畳半暮らしのキッチンでも作れる料理の特集をやりたいって提案したりしてね。最初は相手にしてもらえなかったんですけど、ある時ページに空きができて、じゃあ木村やってみろって、それ以来。6年ぐらい続けさせてもらいました。
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