
東海林 リポーターっていうのは、現場に行って、それこそ重箱の隅をつつくように必死になって取材してって、そういうものだと思っています。現場に行っているんですよ、リポーターは。でもキャスターに比べて低く見られがちです。だから、私は「リポーターの東海林です」って敢えてプライドを持って言う。いわゆる報道っていうものと、ワイドショーのようにリポーターが重箱の隅をつつくものと、両方が存在して初めて事件の全容が明らかになるわけですから。
講演の仕事を始めた当初は、「何で人のプライベートにずかずか入っていくんだ!」って随分言われました。だからまず、なぜ自分がリポーターとして現場に行くかを説明したものです。
東海林 阪神淡路大震災のリポートをしたことですね。ちょうどあの朝はフジテレビにいて、前日に事件の取材をしていた関係で地味な格好をしていたんです。だからすぐに現場に行ってくれってことになって。10時に東京を出発して、その日のうちに神戸に入りました。
現場に入って、全てを見たって思いましたね。それまで数え切れないぐらいの現場を経験してきたけど、これ以上のものを見ることはもうないだろうって。そしてその仕事を終えて、リポーターの現場を降りました。
東海林 講演活動はこれからも続けていきたいと思っています。リポーターとしての経験がもう一度生かせて、それが誰かの役に立つかもしれないわけですから、これは生きがいですよね。
それから、「こんなことやらない?」って人からすすめられたら、何でも挑戦していきたい。やりたい。どんな注文が来ても、まずやってみる。最近「東海林のり子の『人生Yesの法則』」って本を出したんですけど、私の持論は、才能って自分で分かってるわけじゃないってこと。人からすすめられてやってみると意外にうまくいって、思わぬ才能が開花したりする。例えばジミー大西君の絵とかね。番組の企画で販売してみたら思わぬ高値がついて、それをきっかけに画家の道をすすむみたいな。才能ってそういうものだと思うんですよ。
だからこれからの東海林のり子は、「人生Yesの法則」で、やってみませんかといわれたものには全部Yesで受け止めていく。講演にしても、どんなテーマでも、私のことを必要とされる人がいたらどこへでも行きますよ。

東海林 あ、それはもうライフワークですから。ワイドショーでX JAPANの取材を始めたのが20年ほど前かしら。今でもライブには行ってますよ。(鞄からカードを取り出し)これ。Xの運営委員会に頼んで名刺を作ってもらっちゃったの。自慢の名刺(笑)。
この間も、hideの追悼コンサートで開会宣言をやらせてもらいました。観客にむかって「かかって来いよ!」って。で、それを合図にDJ OZMAがダンサーと一緒に登場して(笑)。
東海林 間違いなく天職ですね。とにかく知りたいんです。いまだに消防車とパトカーのサイレンを聞くと追っかけてしまいますから。本能なんですかね(笑)。


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